第32軍司令部壕 (摩文仁)

沖縄にあった日本軍の司令部壕

陸軍 第32軍司令部壕    

海軍 海軍司令部壕    

  • 小禄の司令部壕    1945年6月13日陥落

 

 

 

沖縄タイムス、司令部南下の想定ルート

司令部壕の隊をいくつかに分け、米軍の攻撃が緩む夜間に後退を進めた。

沖縄本土復帰50周年 知る32軍壕 | 沖縄タイムス+プラス

 

残された選択肢

5月22日、首里の包囲も時間の問題となると、第32軍司令部は残された下の3つの選択肢から一つを選ぶことになった。沖縄戦の作戦参謀、八原博通は、(1) の南下の判断に皆を誘導するよう策をたて、巧妙に立ちまわる。

  1. 南部摩文仁に撤退
  2. 知念半島に後退
  3. 首里司令部壕に留まる

第62師団の上野参謀は、首里に留まることを主張する。

「今となって、軍が後方に退がるという法はない。 師団は軍の方針に従い、首里複郭陣地を準備した。 これを棄て、後退するとしても、師団には輸送機関がない。 数千の負傷者や集積軍需品を後送する術がない。 師団は初めから、首里で討ち死にと覚悟している。祖国のために散華した数千の戦友や、さらに同数の負傷者を見棄てて退却するのは情において真に忍びない。 我々はここで玉砕したい」

一方、八原はこう主張する。

本土決戦を少しでも有利ならしめるためには、あくまで抗戦を続けるべきである。ひと思いに死んでしまうといった野蛮人的感情論で、軍今後の作戦方針を決めるの は極力避くべきである。この意味において、喜屋武半島後退案こそが最も現実的で、軍本来の作戦目的にも適うものだと思います」と今度は断固たる態度で意見を申し上げた。 参謀長も、すでに十分考慮されていた らしく、素直に私の意見に同意された。

 

逆にいえば、作戦参謀は、本土決戦を少しでも送らせるための「南部撤退」の現実性を認識していながら、なぜ住民を南部に退避させていたのかということだ。

 

首里司令部壕の女性たちが、摩文仁の壕にまでやってきて身を寄せることを迷惑そうに語る一方で、首里司令部壕にいた学徒や女性たちに心を痛め案じている様子はほとんどみられず、また、米軍がジュネーブ条約に沿って捕虜を保護することを承知のうえで、自分はそくざに民間人として安全に投降する一方、捕虜となった沖縄人を変わり身が早いと嘆き、犬呼ばわりするなど、よくよく手記を読み込めば、八原博通参謀の沖縄人に対する態度には、常人には理解しがたいある種のいびつさが感じられる。、

 

沖縄本土復帰50周年 知る32軍壕 | 沖縄タイムス+プラス

 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■