FAC6001 北部訓練場 (Northern Training Area)

 

北部訓練場は、沖縄県国頭郡国頭村と東村にまたがるアメリ海兵隊の基地。英語名は「キャンプ・ゴンサルベス」(Camp Gonsalves) あるいは「ジャングル戦闘訓練センター」(Jungle Warfare Training Center)。

 

f:id:ospreyfuanclub:20220403193702p:plain

1972年時点の面積 約86,914千㎡ 
2017年時点の面積 36,584千㎡  

 

自然環境の概要

やんばるの森の生物多様性

北部訓練場のある国頭村及び東村で生息が確認された又は生息が可能或いは推定される、重要な種、貴重な種等(動物)は 46 種類いる。

沖縄県・米軍基地環境カルテ

f:id:ospreyfuanclub:20210908103404p:plain f:id:ospreyfuanclub:20210908103546p:plain

f:id:ospreyfuanclub:20210908103834p:plain f:id:ospreyfuanclub:20210908103635p:plain

やんばる世界遺産へ 奇跡の森の光と影 - NHK クローズアップ現代+

 

やんばるの森はいのちの水がめ

やんばるの森は沖縄島のいのちの水がめ。水源かん養林の大きな機能をはたす。北部5ダムはすべてつながり沖縄県民の水がめとなっている。しかしそこはまた同時に米軍の訓練場である。つまり県民の水がめが米軍基地のなかにあるということだ。

f:id:ospreyfuanclub:20210908104948p:plain

f:id:ospreyfuanclub:20210908105537p:plain

9ダムマップ | やんばるのダム-内閣府沖縄総合事務局 北部ダム管理事務所-

後に見るように、米軍ヘリはダム上空や周辺を飛び、また実際に過去にはダム建設現場周辺で墜落事故も起こしている。

 

北部訓練場の歴史

  • 1955年: 4月4日-24日、初の訓練 (当時は琉球政府への通知が必要)
  • 1957年: 国有地と私有地を強制接収し「北部海兵隊訓練場」として使用開始、当時は林業を守るため実弾演習はしない条件だった。
  • 1970年12月22日: 伊部岳闘争。秘密裡に実射訓練場として工事を進め、伊部岳での実弾射撃訓練を村に通告。村議会は抗議決議をだし住民は強く抗議、演習を阻止する。
  • 1987年1月: 安波ダム南約270m地点にハリアーパッド建設を計画したが、地元の強い反対で中止
  • 1998年3月12月22日: 安波訓練場の返還。
  • 1996年12月: SACO 最終報告で北部訓練場の過半を返還することを合意
  • 1999年4月: 7ヶ所 (後に6ヶ所に変更)のヘリ着陸帯を移設後、過半を返還する条件がつけられる (日米合同委員会合意)
  • 2016年7月11日: 衆院選選挙で基地反対派候補者伊波洋一が現職の沖縄担当大臣(当時)島尻安伊子にゼロ打ち圧勝したその9時間後の朝6時ごろ、髙江に機動隊が大挙し、ヘリパット建設工事が強行される。9月13日、地元の抗議を回避するため自衛隊ヘリで工事車両を空輸。12月22日、面積の過半に相当する4,010ヘクタールが日本に返還。
  • 2017年12月: 政府は1年で予算約3億円かけ「支障除去」を終えたとして引き渡しを完了したが、いまだ多くの廃棄物が放置されたままである。
  • 2018年6月29日: 政府は返還地約3,700ヘクタールをやんばる国立公園区域に編入
  • 2021年7月26日: ユネスコ世界自然遺産登録が決定。

 

1970年 伊部岳闘争 (実弾射撃場建設阻止)

米軍は住民に隠し砲座を建設し既成事実化しようとしたが、住民が阻止。

そのトラブルは、1970(昭和45)年12月30日の実弾射撃演習阻止運動となって爆発した。そのことは、1970(同45)年2月ごろから国頭村民に気付かれないよう、安田の300m余の屹立したカシマタ山上に実弾射撃場をこしらえ、3台の砲座を築いてしまったことに始まる。米軍は、建設資材の全てをヘリコプターによって空輸していたのであった。このような米軍政府の秘密裏の動きは、沖縄の日本返還を前に、軍事基地についての既成事実をつくる意図があったことも否定できない。実弾射撃によって山林が焦土化することは、恩納岳や金武岳の例で明らかであった。着弾地の一帯は、沖縄本島に残る唯一の自然林であり、しかも、山に依拠して生活している村民の歴史的な生活源であった。また、カシマタ山近くは、琉球政府中南部の工業用水を確保するために、両3年中に開発を予定していた水源地でもあった。さらに、学問的には、世界で一属一種の鳥類ノグチゲラや天然記念物のアカヒゲなどの棲息地でもあり、そのほかにも学問的価値の高い植物群生の地域でもあった。

f:id:ospreyfuanclub:20210908112416p:plain

f:id:ospreyfuanclub:20210908112505p:plain

国頭村史『くんじゃん』270頁

f:id:ospreyfuanclub:20210908110216p:plain

実弾射撃演習を阻止しようと米軍と対峙する村民ら。左から3人目が上原一夫さん=1970年12月31日、国頭村安田(上原さん提供)

命の山に実弾が撃ち込まれる…1970年、沖縄やんばるの住民たちは阻止した しかし日米の密約は実弾演習を許容したまま - 琉球新報

「伊部岳実弾射撃演習阻止闘争の碑」の建立*1

f:id:ospreyfuanclub:20210908105807p:plain

伊部岳闘争 先人に思い 国頭 実弾演習阻止50年 2人の宮城さん 碑で回顧 | 沖縄タイムス

 

ベトナム村と枯れ葉剤

f:id:ospreyfuanclub:20210908145528p:plain

北部海兵隊訓練場(当時)のゲリラ戦訓練施設「ベトナム村」。先端をとがらせた丸太を突き立て、外部からの攻撃に備えるベトナム現地の様子を模したとみられる様子が分かる=1964年ごろ、横堀洋一氏撮影

ベトナム村では近くの東村高江の住民が戦闘訓練に動員させられており、米軍が山林に仕掛けたわなでけがをした住民の報告もある。

「ベトナム村」内部写真発見 60年代、米軍北部訓練場 - 琉球新報

f:id:ospreyfuanclub:20210908145828p:plain 

アメリカ軍がベトナム戦争で使用した猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤が、1960年代に北部訓練場で使われていたことがわかりました。 

これは1961年から62年、北部訓練場で枯れ葉剤を散布する作業に携わった元アメリカ兵の前立腺がんの後遺症の補償が、アメリカ退役軍人省に認められたことが公式文書で明らかになり、わかったものです。

北部訓練場で枯れ葉剤 – QAB NEWS Headline

 

1987年ハリアー離着陸場建設の阻止

国頭村が反対する中、AV8Bハリアー垂直離着陸戦闘攻撃機の離着陸場建設が強行された。*2

 

f:id:ospreyfuanclub:20220326133303p:plain

 1987年1月、在沖米軍海兵隊は、北部演習場内の安波ダム近くで、突然、ハリアー基地建設工事を始めた。国頭村は、ただちに建設反対を決議、特に現場から1.7Kmしか離れていない安波地区では、「平和な生活が破壊される」「悪魔のハリアーを山に入れるな」と、地区ぐるみの反対運動に立ち上がった。

 米軍は工事をいったん止めていたが、1月16日早朝から工事を再開した。しかし、ゲート前に座り込んでいた区民約150人が憲兵隊の阻止線を突破して現場に突入、米兵らと乱闘になって怪我人も出たが、こうした激しい住民の闘いによって米軍を工事中断に追い込んだ。

…  このハリアー基地建設計画は、1988年に入って、東村・高江が代替地として浮上する。これも、高江の区民総会決議や東村議会の反対決議などで阻止1989年には再度、安波での建設計画が発表されたが、3000人の村民決起大会、そして、6000人が集まった県民大会など、全県的な運動となって米軍の計画は破たんする。(その後、この計画は、伊江島移された。)

国頭村・安波、ハリアー基地建設阻止闘争(やんばるの反基地闘争②) - チョイさんの沖縄日記

 

著しく周辺に不利益をもたらす施設を、経済的・社会的に弱い立場に置かれている共同体に押しつけていくことをアメリカでは「環境的人種差別」(environmental racism) という。このやりかたで日米は多重的な差別構造を利用し沖縄に基地を押しつけ続けている。

 

2017年の返還地について - SACOという欺瞞

ひどい話だが、日米両政府は米兵による少女暴行事件を「足掛かり」として、沖縄抜きで米軍基地統合刷新計画を進めた。その内容は、古い施設を「返還」し、その「条件」として、すべて沖縄県内で日本側が新しい米軍施設を建設してさし上げる、というものだった。

1995年9月の沖縄県での米兵による少女暴行事件を契機に、日米両政府は米軍基地の整理・縮小を協議するために特別行動委員会(SACO)を設置。96年12月に県内11施設、計約5000ヘクタールの返還を盛り込んだ最終報告をまとめた。

SACO最終報告とは: 日本経済新聞

 

そのSACO対象11施設のなかには北部訓練場、および隣接する安波訓練場が含まれている。

北部訓練場
以下の条件の下で、平成14年度末までを目途に、北部訓練場の過半(約3,987ヘクタール)を返還し、また、特定の貯水池(約159ヘクタール)についての米軍の共同使用を解除する。

【条件1】北部訓練場の残余の部分から海への出入を確保するため、平成9年度末までを目途に、土地(約38ヘクタール)及び水域(約121ヘクタール)を提供する。
【条件2】ヘリコプター着陸帯を、返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設する。

沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告(1996年12月2日)

 

日米地位協定では米軍には原状回復義務もなく、古い施設のクリーンアップと新設される北部訓練場の施設「統合強化」は、日本の税金で賄われる。

  1. 北部訓練場に接岸水域を提供し、水陸両用訓練地として機能拡大する。
  2. 劣化しほとんど使用していない古いヘリパットを日本に「返却」し、オスプレイ対応ヘリパットを日本に新設させる。

 

提供された海域と連結部分

f:id:ospreyfuanclub:20210908122902p:plain

北部訓練場「負担軽減」という名の機能強化 集落近くに着陸帯、オスプレイ年2500回使用 | 沖縄タイムス

 

松の木の生えるヘリパットと引き換えに

年代物のヘリパットを日本にポイ捨てし、新しいオスプレイ対応ヘリパットを建設する。それが SACO の代替施設という「条件」なのだが、どれほど「使ってないヘリパット」だったのかは、あまり国民には知らされていない。実際にみてみよう。

 

f:id:ospreyfuanclub:20210908125303p:plain

旧ヘリパットと日本政府が新規建設し提供するヘリパットのおよその位置を書き加え。

 

上から順に「返還」された旧ヘリパットの「使用」状況をみてみよう。これらは防衛局の公式の調査結果である。

 

LZ-FBJ (26°45'40.9"N 128°16'22.2"E)

1970 年に実弾射撃訓練場として整備されるが、中止されヘリパッドとして利用されていた。 ヘリパッドは露岩部分が主体である。シートやパイプ、薬きょうなどが確認された。周辺ではシートや鋼材、コンガラ、有刺鉄線など確認された。

f:id:ospreyfuanclub:20210908130411p:plain

LZ-1 (26°45'08.4"N 128°15'50.2"E)

ヘリパッドは平坦な露岩部分が主体であり、部分的に砕石が敷かれていることが確認される。コンクリート基礎や薬きょうなどが確認された。周辺では工事看板、コンガラや空き瓶などが確認された。 

f:id:ospreyfuanclub:20210908130439p:plain

LZ-1A (26°45'18.6"N 128°15'49.4"E)

ヘリパッドはほとんどがススキや樹木に覆われている。周辺では、空き缶、コンガラのほか、タイヤや有刺鉄線、電子機器も確認された。 

f:id:ospreyfuanclub:20210908130504p:plain

LZ-2 (26°44'57.3"N 128°16'28.0"E)

ヘリパッドは平坦な露岩部分が主体であり、部分的に砕石が敷かれていることが確認される。薬きょうが確認された。中央部にも松が生えている

f:id:ospreyfuanclub:20210908130539p:plain

LZ-2A (26°44'50.2"N 128°16'40.0"E)

ヘリパッドはほとんどがシダで覆われており、局所的に露岩部分が存在する。周辺ではタイヤ、空き瓶が確認された。

f:id:ospreyfuanclub:20210908130706p:plain

LZ-3 (26°44'19.3"N 128°17'22.4"E)

ヘリパッドは平坦な露岩部分が主体であり、部分的に砕石が敷かれていることが確認される。コンクリート基礎や薬きょうなどが確認された。周辺では空き瓶、タイヤなどが確認された。

f:id:ospreyfuanclub:20210908131130p:plain

LZ-21 (26°38'31.2"N 128°13'00.8"E)

ヘリパッドは露岩部分が主体であり、部分的に砕石が敷かれていることが確認される。包装容器や薬きょうなどが確認された。周辺では空容器、ビニルゴミなどが確認された。 

f:id:ospreyfuanclub:20210908131204p:plain

沖縄防衛局「北部訓練場(28)過半返還に伴う支障除去措置に係る資料等調査報告書」PDF (平成29年12月)

 

ヘリパットの中央に松の木が育つ など、まるで冗談のようだ。ベトナム戦争時代に建設し、どれだけ使っていなかったか、つまり遊休化していたか、これだけでもお分かりたただけたかと思う。遊休化している米軍基地は速やかに返還する、それは日米地位協定で決められているはずだが。

 

こうした遊休化した松の木ヘリパットに、なぜそもそも日本の国民の税金を使って代替の土地と施設を提供することが必要なのだろうか。

 

しかもオスプレイ対応のヘリパットを、高江住民の住んでいる地域にぐるり取り囲むように建設する。これは人間の安全保障の問題である。

 

残虐な性被害で殺害された少女の事件に呼応し、沖縄の基地負担を軽減する、といいながら、こうした欺瞞の手口が SACO にぎっしりと詰め込まれている。

 

ヘリ墜落はダムのそば

北部訓練場は、前述したように北部5ダムと沖縄の水源地そのものを基地として使っているものであり、いったん事故が起これば、水源が汚染される可能性がある。

  • 1973年8月2日: 普天間飛行場所属CH-46ヘリが伊湯岳頂上付近で墜落。
  • 1975年6月24日: 普天間飛行場所属CH-46ヘリが安波ダム建設工事現場で墜落。
  • 1980年12月19日: 普天間飛行場所属CH-46ヘリが安波ダム貯水予定域に墜落。
  • 1988年10月31日: 普天間飛行場所属CH-46ヘリ2機が飛行訓練中に衝突、1機が伊湯岳墜落。

現在わかっているだけでも、2017年度に返還された区域内で、過去4度のヘリ墜落事故があった。そのためクリーンアップの調査を行う防衛局は、当然、米軍に対し過去のデータの提供を求めた。もちろん新規の土地や新施設を建設し提供するのであるから、米軍が情報を日本側に提供するのは当然と思われる。

 

で、米軍の日本の防衛局に対する返答は次のとおりである。

f:id:ospreyfuanclub:20210908140503p:plain

沖縄防衛局「北部訓練場(28)過半返還に伴う支障除去措置に係る資料等調査報告書」PDF (平成29年12月)

 

いつものことではあるが、米軍のあまりの誠実さがよくわかる事例として記憶しておきたい。ということで、防衛局は、米軍の協力なく、自力で「独自に」過去4度の墜落事故現場を「特定」しなければならなかった。なんという徒労と税金の無駄遣いだろう。

 

水源地が米軍基地に接収されていれば、永遠に水に関して安心できない。

f:id:ospreyfuanclub:20210908142640p:plain

沖縄防衛局「北部訓練場(28)過半返還に伴う支障除去措置に係る資料等調査報告書」PDF (平成29年12月)

 

高江ヘリパット建設

このように、ほとんど使われていなかった古いヘリパットの「代替施設」として、日米は新たに高江の住宅区域を囲む6ヵ所のヘリパット建設計画に合意した。もちろん住民は反対し続けた。

2007年7月: 高江の座り込みが始まる。

2008年11月: 国 (沖縄防衛局) は、高江住民ら15名を通行妨害で訴えた。その中には反対団体代表の8歳の女の子も含まれていた。高江スラップ訴訟。

 

f:id:ospreyfuanclub:20210908144712p:plain

ドキュメンタリー映画『標的の村』 東京のメディアが報じない沖縄基地問題を映画で | 市民メディアActio

 

2016年7月11日: 高江ヘリパット建設強行

反対派が選挙で圧勝したその9時間後、ヘリパット建設を強行した日本政府。

 

7月22日: 他県からの機動隊大量導入。極めて暴力的な排除が行われた。

f:id:ospreyfuanclub:20220401072259p:plain

他府県の機動隊の沖縄への派遣問題について - チョイさんの沖縄日記

 

北部訓練場と米軍廃棄物

放置される米軍廃棄物: 北部訓練場 安波ダム周辺工事サイト周辺のゴミ

f:id:ospreyfuanclub:20210908110406p:plain

宮城秋乃さん「大量の廃棄物が見つかり、さらにこんな大きなものまであるので、あまりにもずさんだなと思います」 

やんばる世界遺産へ 奇跡の森の光と影 - NHK クローズアップ現代+

 

今年6月、警察が「その」宮城秋乃氏を家宅捜査しパソコン等没収、書類送検という。

 

ここはいったいどこですか。

 

日本政府が沖縄で「銃剣とブルドーザー」ならぬ「機動隊とブルドーザー」を行っている現実は、「他人事」ではなく、あなたの足場でおこっていることです。

 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

*1:伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑 (国頭村・村制百周年記念事業)

 この地は、沖縄 を占領しているアメリカ合衆国 が北部訓練場として使用し、更に、実弾射撃演習場併設を通告し、強行に演習を実施しようとしたことに対し、地域住民・村・支援団体が必死の決意で実弾射撃演習場設置を阻止した場所である。
 1970年(昭和45年)12月22日国頭村長あてに伊部岳 を中心とした北部訓練場内に実弾射撃訓練場を設置することを琉球政府 (現沖縄県)を通して電話通告してきた。
 26日に国頭村議会は即、抗議決議を採択し演習阻止を明確に宣言した。同日に安田区では演習場設置反対評議会を結成し、住民くるみの動員体制を整えた。午後には米海兵隊が1日から射撃演習をはじめるとの情報を村に伝え、緊迫する中で30日を迎えた。
 国頭村字安田 ・安波 ・楚洲 の3集落ては小中学生も阻止行動に参加した一方、着弾地点には、子供、高齢者を除き最大動員して座り込み、抗議・阻止の旗を掲け、火を焚き、煙の合図で強固な阻止体制が完了したことを告げた。
 31日を迎えた。国頭村長を先頭に村民はじめ、支援団体約600人か発射地点近くで実弾射撃阻止大会を開き、着弾地点の北側に70人、南側に200人の行動隊が座り込み実力阻止、有刺鉄線を乗り越えて発射地点に突入、大混乱の中で、重軽傷者を出しながら体を張って米軍権力に対抗して阻止実現。「やったぞ!米兵は帰れ!」を歓声と怒りの声が深い豊かな山にこだました。
 持ち込んた砲弾はヘリで持ち帰り、米軍は正式に実弾射撃演習の中止を発表した。
 こうした決死の思いて村民、県民の生命、財産をはじめ、豊かな自然、水資源、ヤンバルクイナノグチゲラなどの貴重な動植物を守ることができた。
 ”森と水とやすらぎの里”といわれる山原の自然を守り育てようとした先人達の偉業を伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑の存在を通して、平和、命の大切さを学習し、後世に語り継ぐために、この地に伊部岳実弾射撃演習阻止開争碑を設置した。
2009年(平成21年)8月15日

*2:松本善明: 北部訓練場の中の、核攻撃が可能なAV8Bハリアー垂直離着陸戦闘攻撃機、このハリアー機の離着陸場の建設の問題です。これはブルドーザーの前に村民が命がけで立ちはだかって今建設ができないでいる状態でありますが、この国頭村というところの村長さん、これまた保守の方です。しかし、この方もこれは反対だということをはっきり言っておられましたし、村議会ではもちろんこの建設を即時中止すること、それから北部訓練場と安波訓練場——この北部訓練場というのは国有地、安波訓練場というのは村有地だそうですが、これを早急に返還することということが村議会で一致して意見書が決められて、外務大臣あてにも出ているのですが、… 

第109回国会 衆議院 外務委員会 第3号 昭和62年8月21日