FAC6009 キャンプ・シュワブ (Camp Schwab)

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キャンプ・シュワブとは

在沖海兵隊の訓練場として「キャンプ・シュワブ」と「キャンプ・ハンセン」をあわせ沖縄を分断する巨大な「中部訓練場」を形成している。(see. キャンプ・バトラー)

 

キャンプ地区

米軍沖縄海兵隊キャンプ・シュワブ|施工実績|錢高組

訓練地区

デモリション演習の爆破でできたクレーター。

キャンプ・シュワブ - Wikipedia

 

沖縄県民の7割以上が反対*1しているというのに、いったい誰がこの海を埋めさせているのだろうか。

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米軍、辺野古(へのこ)新基地はこんなに大きい?!あたなの街と試してみよう!

 

辺野古には古代からの遺跡も多く点在するが、戦後から米軍基地に接収され、歴史の発掘調査もろくに許可されていない。そしてこのままコンクリートで埋立て、永遠に歴史は奪われてしまうのだろうか。

平成 26 年度の調査では、碇石や陶磁器類等の遺物を複数発見することができた(第 31 ~ 34 図)。しかし、基地内への立入申請の際に提出した書類に発見した遺物の取扱いに関する事項が無かったことから、遺物の持ち出しについて米軍の許可が得られなかった。そのため、発見された遺物は現地に戻すことになった。しかし、碇石については、その発見場所が干潮帯であるため潮の干満によって移動する可能性が非常に高いと推測されたことから、キャンプ・シュワブ内にある沖縄防衛局の事務所内にて一時保管し、米軍との調整の後に持ち出すことが許可された。

沖縄県埋蔵文化財センター調査報告書 第104集 『キャンプ・シュワブ海域文化財分布調査』(2020年3月) PDF p. 23.

 

キャンプ・シュワブ内には、思原遺跡、 大又遺跡、思原長佐久遺物散布地、思原石器出土地、ヤニバマ遺物散布地、美謝川集落関連遺跡群、長崎兼久遺物散布地、そして沖縄戦の収容地「大浦崎収容所跡」の8遺跡が点在している。

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沖縄県埋蔵文化財センター調査報告書 第104集 『キャンプ・シュワブ海域文化財分布調査』(2020年3月) PDF p. 11.

 

そこには、あたりまえに人々の暮らしがあり、歴史があった。

永遠に失われる里と海と歴史。

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第6図 調査区周辺の海域地名

沖縄県埋蔵文化財センター調査報告書 第104集 『キャンプ・シュワブ海域文化財分布調査』(2020年3月) PDF p. 13.

 

米軍が沖縄戦とその後にかけて設置していた民間人収容所「大浦崎収容所」については

2017年12月12日、米海兵隊がその公式ホームページでシュワブの沿革に久志村を大浦崎市と誤って記載していたことを東京新聞が指摘した後、海兵隊大浦湾収容所の記載そのものをすべてページから削除したことがわかった[29]。今もキャンプ・シュワブのページには、米軍が管理し運営していた「大浦崎収容所」の記述はない[30]

2020年12月7日、名護市教育委員会は、キャンプ・シュワブ内に今も残る遺跡大浦崎収容所跡の発掘調査と保存に関し、ほとんど調査もされていないことから沖縄防衛局を通して現状保存を求めてきたが、防衛局は米側の意向で(大浦湾収容所の)現状保存を行わないことを明らかにした[31]

キャンプ・シュワブ - Wikipedia

 

日本軍は、第32軍対して沖縄での幾つもの飛行場建設を命じたが、そのほとんどは七転八倒して作るだけで実際に使用することはできなかった。これは、どうだろうか。

 

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沖縄返還の50年前までは、米軍が「銃剣とブルトーザー」で沖縄の土地を奪った。いまは、日本の「エゴと無関心」が、沖縄の土地を奪い埋めている。

 

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*1:県民投票 2019 反対 72.1%、賛成 19.0%