キャンプ・ハンセン
キャンプ・ハンセンの施設地区は、もともと沖縄戦当時に米軍が建設した「金武飛行場」だった。空中写真で見ると、滑走路の形状がそのまま施設区域になっていることがわかる。
キャンプ・ハンセンでは、県内最大規模の実弾射撃演習が実施されています。実弾射撃演習による原野火災や施設外への被弾等、周辺地域へ与える不安が最も高い施設の1つです。写真手前は、金武町の中心地域、中央に見える施設には兵舎、医療施設、銀行、娯楽施設等が完備されています。
また、平成8年12月のSACO最終報告の後、「県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練」については、平成9年6月の日米合同委員会において、本土の演習場での分散・実施が合意されたことから、沖縄での同訓練は事実上廃止されています。
1945年 金武飛行場 (Chimu Airfield) の建設
沖縄島で米軍が建設した飛行場と民間人収容所
米軍は1945年4月中旬から金武飛行場の建設を始め、4月末には完成させていた。
米海軍: Native village near Chimu Airfield, Okinawa.
金武飛行場の近くの集落。撮影地: 金武町撮影日: 1946年 12月 12日
1945年
2月28日、米軍偵察機、金武の空中撮影を行い、飛行場予定地を選定する。
3月23日、金武の飛行場予定地に絨毯爆撃を行う。
4月6日、米軍が金武地区に侵攻、飛行場建設開始。
5月16日、21日、2度にわたり護郷隊により襲撃される。金武町住民が護郷隊を匿っていると疑われ、住民を宜野座・漢那の収容所に移送する。
護郷隊によるゲリラ襲撃を警戒し、米軍は6月7日から金武掃討戦を開始、20日には全住民を宜野座・漢那の民間人収容所に移送する。
動画は 1:28~より。時間合わせしてあります。
1950年代 - キャンプハンセン建設
1947年7月22日、飛行場を射撃場として再使用開始。小火器、大砲、戦闘機重爆撃訓練等々に使用。
1951年1月、飛行場跡に木造兵舎建設開始。
1956年6月、海兵隊、仮兵舎にて駐屯開始。
1959年7月、キャンプ・ハンセン建設開始。
1962年10月、キャンプ・ハンセン工事完了。
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