FAC6012 久志訓練場 (Kushi Training Area)

久志訓練場とは

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1945年、久志村字久志も大浦崎収容所の一部となる。

1960年頃、米海兵隊の水陸両用部隊の上陸訓練場として提供される。

 

沖縄県総務部『沖縄の米軍基地関係資料~地位協定に基づく提供施設』(昭和42年11月) p. 58.

 

久志訓練場は米軍が対名護市と直接交渉し更新の必要な「許可訓練場」のひとつであった。これは名護市が持つ権限である。

 

71年当時、恒久使用の米軍基地以外に、市町村との契約に基づき7つの沿岸部水陸両用訓練地域が存在していた(安波国頭村]、川田[東村]、瀬嵩第1第2久志[名護市]、屋嘉第2金武村]、原島[勝連村])。これらは自治体とUSCAR間で12ヶ月毎の更新が成される許可訓練場であった。

啓輔「統治と挑戦の時空間に関する社会学的考察ー戦後沖縄本島北部東海岸をめぐる軍事合理性、開発、社会運動̶」(2016) p. 149.

 

しかし、「沖縄返還協定」にリスト化されることで、日本政府が米軍に「提供」する基地の一つ (沖縄返還協定A表) となる。

 

実際には、飛び地のような訓練地であるので、ほとんど遊休化してたにもかかわらず。

 

返還は1974年になってからだった。

 

  • FAC6112
  • 久志訓練場
  • 59千㎡
  • 名護市字久志
  • 1974年3月31日、全返還

     

現在は農業用地として使用されている。

 

久志訓練場のおよその位置。辺野古とキャンプシュワブが右側にある。

 

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