楚辺通信所
いわゆる、あの「象のオリ」、米軍内の通称は「ハンザ・キャンプ」*1。
場所: 読谷村(字波平、字座喜味、字上地)
面積: 535,000㎡
1943 年夏頃から日本軍「北飛行場」建設
1945年4月1日、沖縄戦で米軍の上陸地となり占領される。
1953年3月13、楚辺方向探知東サイトとして使用開始。
1972年5月15日、沖縄返還協定で「楚辺海軍通信補助施設」と「楚辺方向探知東サイト」が統合され、日本政府が「楚辺通信所」(FAC6026) として米軍に提供開始。
象のオリが黒塗りされている1970年の空中写真
1976年7月、楚辺通信所の戦略通信アンテナ基地建設の着工が発覚すると、読谷村はさらなる負担に抗議し工事中止の要請をおこなった。その後も工事は進めらたが、村議会と地主会が反対闘争に立ち上がり、村の55%が基地であり、これ以上の拡大は認めることができないとして村民大会を開催した。大統領ジミ―・カーターへ直訴状も送った。
1977年、防衛施設庁はアンテナ基地の建設断念を発表した。
1995年 象のオリ訴訟
1995年、知花昌一ら一部の地主が賃借契約の更新を拒否し、大田昌秀沖縄県知事(当時)も土地強制使用の代理署名を拒否したため、これにより沖縄代理署名訴訟が起こり、沖縄県が敗訴した。
1996年4月、賃借契約が切れたため、日本国による不法占拠状態となった。一部地主らは土地の明け渡し等を国に求める訴えを起こした。2003年11月、裁判所は請求を棄却した。
2007年 アンテナ撤去
1996年、SACO最終報告により、キャンプ・ハンセン内に施設を新設し移設することを条件として返還合意。2007年6月8日、全てのアンテナが撤去された。
土地は誰のものなのだろう。
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