FAC6034 平良川通信所 (Deragawa Communication Site)

 

平良川通信所と "PSYOP"

Skittino-16th

 

米軍は平良川サイトを日本語読みのタイラガワではなく、沖縄語の読み方の「デラガワ」という名前で Deragawa Site と呼んだ。

  • 場所: 沖縄県具志川市(現在のうるま市
  • 字仲績・字田場・字上江洲・字喜屋武
  • 面積: 550,100 ㎡(1972年時点での面積182,100㎡ にそれ以前の1968-69年の土地返還面積分を加算)
  • 管轄: 米陸軍 第7心理作戦部隊 第16心理作戦中隊
  • 用途: psyop (psychological operation) 心理作戦の部隊「米陸軍第7心理作戦部隊」の通信所。

 

1945年 - 終戦と同時に米陸軍の物資集積所として使用開始。
1961年7月 - 陸軍通信隊の通信基地となる。
1963年 - 「国連軍の声」の放送拠点が沖縄の平良川通信所に移される。

平良川通信所 - Wikipedia

 

心理作戦部隊とは

米軍は沖縄戦を心理戦 (psychological warfare) 戦略の初めての成功例として認識し、その後の朝鮮戦争ベトナム戦争に継承する。

 

沖縄戦の心理戦戦略に大きく責任を負っていたニミッツのスタッフは、この心理作戦が太平洋戦争の中で最も成功したと判断した。民間人からの軍事的抵抗はごくわずかであり、作戦の初期に予想よりも多くの敵兵が降伏した。琉球における心理戦の成功は、島々の作戦中の人間の苦しみの犠牲者を減らすのに役立ったのは間違いありません。

Arnold G. Fisch, Jr., Military Government in the Rhykyu Islands 1945-1950. Center of Military History United States Army, Washington, D.C., 1988. p. 44.

 

1965年10月20日、米軍は心理戦 (psyop = psychological warfare) に特化した米陸軍第7心理作戦部隊牧港補給地区 (キャンプ・キンザー) で編成する*1

 

キンザーは冷戦時代の極東地域における情報戦の中枢を担っただけではなく、沖縄戦後に銃剣とブルドーザーで土地の強制接収を続け基地拡大を続けていく米軍に苦しむ沖縄県民の「宣撫政策」(占領地区の住民に自国の本意を理解させて人心を安定させる---広辞苑) も担った。

 

デラガワ通信所は、その第7心理作戦部隊の第16心理作戦中隊の駐屯地として牧港から平良川に移転した。そして米陸軍はこのデラガワ基地からから朝鮮半島、中国、ベトナムにむけて短波ラジオを発信していた。

 

朝鮮戦争が始まると、国務省管轄の VOA (Voice of America)「アメリカの声」*2とならび、米軍もプロパガンダ放送局 VUNC (Voice of United Nations Command)「国連軍の声」を開設したが、ほんとうに国連軍の声だったかどうかに関してはかなりヤバめな話で、米軍が制作し、米軍が発信していた。国連が承認していた訳でもない。つまりは、牧港補給地区の陸軍第7心理戦部隊が制作し、それをこのデラガワ通信局で発信するというものである。つまり実際には「米軍の声」であった。

 

 

おびただしいひとつひとつの米軍基地に関しての資料は限定的なので、退役軍人の記憶に頼るしかない。平良川通信所の場合、幸いにこうした写真や記録を公開している退役軍人グループがあり、おかげで私たちは平良川通信所のいったんを知ることができる。

 

1962年、(第7心理戦部隊の) 第16心理戦中隊は、マチナート (牧港補給地区) の大隊本部から北へ約20マイルのデラガワにある空軍のサイトに居を構えた。… フェンスで囲まれた複合施設は、兵舎、食堂、レクリエーションホール、50kwのSSB送信機を収容する建物、後にEMクラブに改装されたクオンセット、モータープールエリアで構成されていた。菱形アンテナが管理施設の外側にあった。5トンの送信機と5トンのスタジオバン、60kwのポータブル発電機、モバイルスピーカー機器を持ち込んだ。

EMクラブを建設中に、第二次世界大戦の日本の機関銃の掩体が、骸骨、機関銃、弾薬ともそのまま完全に発見された。これはおそらく、病気の蔓延を防ぐために、死んだ日本兵をそのままブルドーザーで覆った多くのケースのひとつではないかと私たちは推測した。フォート・バックナーのチームが現場からすべてを取り除き、私たちが知る限り、日本人の遺体を適切に埋葬した。

16th CompanyPage (timyoho.us)

 

50kwのSSB送信機 強烈な短波を扱うにはいのちの危険が伴う。

16th CompanyPage (timyoho.us)

 

牧港補給地区 (キャンプ・キンザー) の陸軍第7心理戦部隊が録音したものを、平良川通信所で発信する。

米国陸軍通信隊 【原文】 Psychological Warfare【和訳】 心理作戦  1966年 9月     

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

また、戦地で活躍する心理戦部隊の訓練なども行われていた。

 

デラガワには二つの目的があった。主な用途は、50KW SSB送信機で録画されたVUNCラジオ番組やその他の情報を韓国と中国本土に放送すること。これらの番組の大部分はマチナート(牧港補給地区) のVUNCスタジオで制作されたが、いくつかはデラガワの移動式バンのスタジオでも制作された。

 

もう一つの目的は、移動式バンで放送機器を使用するように外国人を訓練すること。5 kw AM送信機は、在沖米軍の放送にも使用された。私の仕事は、両方の施設の機器を監視しメンテナンスすること、放送中のスタジオ技師であることでした。ほとんどの送信が韓国語または中国語であったため、50kw送信機で何が送信されているのかはほとんどわかりませんでした。

16th CompanyPage (timyoho.us)

 

これも関連すると思われる沖縄公文書館所蔵の写真をいくつか見ることができる。これが移動式バンスタジオの様子。

米国陸軍通信隊【原文】 Psychological Warfare【和訳】 心理作戦  1966年 9月

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

米国陸軍通信隊【原文】 Psychological Warfare【和訳】 心理作戦     1966年 9月

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

米軍の心理戦と宣撫戦略はこのように長い歴史と実践経験を持つ。

 

在沖米軍基地拡張のために意図的に醸造される沖縄デマやヘイトに簡単にのっかるのはあまりにナイーヴというものだ。まず歴史を知る、ということが大切である。

 

タイラガワかデラガワか議論

またしても基地の名称の話になるが、1971年、沖縄返還協定に際し、日本は日本の言葉を使え、と主張し、アメリカ軍がより琉球語にちかい地元の呼び方を基地名に使用していることに抗議する日本の国会議員がいた。

 

○斎藤(実)委員 この瑞慶覧(ずけらん)、これについては、北中城村の字瑞慶覧(ずけらん)というふうに、ずっと昔から (?) 呼び名がはっきりしておるわけです。それからデラ川については、具志川市平良(たいら)川というふうにちゃんとはっきり地名になっておるわけですよ。いやしくもこれは日米交換の公文書でしょう。ちゃんと日本語でいまあなたも読みましたように、タイラ川、ナミヒラ、ズケランと、こういうふうにずっと言ってきておるわけでしょう。それをアメリカが、たとえそれが呼びやすいからといって、デラ川とかハンザとかスキランというのはおかしいじゃないですか。そうでしょう。タライ川と呼ぶのであればタイラ川というふうにどうしてこれはローマ字で書かないのですか。

第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第12号 昭和46年12月11日

 

ずっと昔から????

沖縄を強制的に日本に併合した1879年から、米軍占領まで、日本だった歴史は、たったの66年、米軍占領が27年だが。

 

こうした議員が、キャンプ・コートニーやキャンプ・マクトリアスやキャンプ・ヘーグという英語名には抵抗しているようには見えないが、平良川をデラガワ、波平をハンザ、瑞慶覧をスキランと沖縄語読みした基地名に過剰に反応しているのはなぜだろうか。キャンプ登川をキャンプ・ナプンジャと発音したら発狂しかねない勢いで、国会で息巻いている。これは沖縄語の読みなのだと何度答弁しても理解できないようだ。

 

○吉野政府委員 先ほどから御説明いたしておりますように、日本側の表はあくまでも日本語で書いたA表でございます。しかしながら、場合によっては将来沖繩で発音されているような呼び名によりまして統一するということも考えられるかと思っております。

 

○斎藤(実)委員 局長、あなたの答弁は、全く私は心外ですね。いいですか。沖繩における施設及び区域に関する了解覚書、これは日本の公文書でしょう。そうであれば、日本が基地を提供するのですから、日本古来の固有名詞をはっきり書かせるのがあたりまえじゃないですか。そうでしょう。同じにすべきではないですか。呼び名はどう呼んでもいいんだ、いままでは。呼び名は何と呼ぼうが、発音がどうだ、そんなことはかまわない。いままではいいのです。これから新しく基地としてアメリカに提供するのでしょう。アメリカがこういっているから、こう書いたから、それに同調したのだ、そんな弱腰ということはこっちはないじゃないですか。

第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第12号 昭和46年12月11日

 

日本が基地を提供するのであるから、日本語にしろ、というなら、英語名のマクトリアスやキンザーやハーグ基地に対していえばいいものを、彼は英語の基地名は認める一方、沖縄の実際の地名に由来する基地名、デラガワ、ハンザ、スキランを、日本語ではないという理由として絶対に認めないのである。沖縄の基地を語るのであれば、ちゃんと沖縄の文化や歴史も理解しておかないと、あきれるほど焦点外れな議論になる。

 

この国会議事録でわかるのは、当初、米軍と日米合同委員会が作成した米軍に日本政府が提供する米軍基地リストには、当初、平良川通信所は Deragawa Communication Site と記されていた。しかし、こうした日本の国会議員の声で、最終的には英文の1972年5月文書には "Tairagawa Communication Site" と記載されている*3

 

1974年 全返還

1973年6月30日、1974年4月30日の返還により全返還。跡地に復帰記念館、中央公民館、市民芸術劇場、高齢者創作館、福祉センター、公民館などが建設され、具志川市の中心地として発展した。

 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

参考: 

国吉永啓「米国の沖縄統治と影の軍団」沖縄文化研究 12号(1986年)

小林聡明「米軍文書にみる対北朝鮮心理戦の一断面 ─年前後を中心に 1970─」Media & Journalism No. 13 (2019)

小林聡明「冷戦期アジアの「電波戦争」研究序説~朝鮮戦争休戦後の VUNC(国連軍総司令部放送)に注目して~」(2010年)

*1:7th Psychological Operations Group Commanding Officers — USAPOVA

*2:冷戦中、アメリカは国務省管轄のVOA通信所を沖縄に三カ所のVOA通信所を運営した。

*3:PDF