FAC6036 トリイ通信施設 (Torii Station)

 

鳥居の中央にアメリカの星。

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トリイステーション - Wikipedia

 

  • 名称:トリイ通信施設
  • 場所:沖縄県読谷村
  • 施設面積:3,282,000㎡ (1972) → 1,895,000㎡ (2017)

 

1943年: 日本陸軍「北飛行場」建設開始

1945年: 4月1日、米軍の上陸地点となり、楚辺集落は臨時の民間人収容所となる。やがて各地の民間人収容所に移送された。

1946年11 月、読谷村の一部帰村が許可され、楚辺や大木地区も帰村の準備にかかる。

 

1953年 強制接収

1953年1月、米国民政府から立ち退きの通告が送られるが、区民は抵抗し琉球政府主席に請願書を提出。これに対し、米軍は後に「銃剣とブルドーザー」として語られる暴力的な強制接収にのりだす。住民は仕方なく移住を迫られる。

 

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米国陸軍通信隊【原文】 New street at the new Sobe resettlement, Yomitan-son, where 700 families are building a new life after moving from old Sobe, under the United States Civil Assistance, RYCOM.【和訳】 ライカム米民間援助の下、700世帯が旧楚辺部落から移った読谷村新楚辺部落の通り     1953年 8月24日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

1984年3月、陸軍第一特殊部隊(グリーン・ベレー)再配備開始。 

トリイ通信施設はその主要使用目的が通信施設として提供されているにもかかわらず、近年、米軍は陸軍特殊部隊の訓練施設としての使用頻度を高めている。2019年9月24日、米特殊作戦軍の2018米会計年度軍事建設事業計画によると、車両や武器を整備するため特殊作戦部隊用の「戦術装備品整備複合施設」(TEMF) の建設が進められている。インド太平洋地域での軍事作戦を実施する施設、グリーンベレーの拠点としての機能が強化されている。 

トリイステーション - Wikipedia

 

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軍用地の跡地利用と平和村づくり─沖縄県読谷村の事例

 

 

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