わかりやすい沖縄基地問題

もっと知っておきたい沖縄のこと

米軍「上本部飛行場」と「ビーズリー小飛行場」

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沖縄の米軍基地 - Wikipedia

 

 

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内閣府 沖縄総合事務局 跡地利用対策課 の kmz データより制作。

 

本部飛行場は、美ら海水族館がある本部半島にあった米軍基地。上本部飛行場、桃原飛行場ともよばれた。また、本部飛行場の北側の備瀬にはフクギ並木に隣接して本部補助飛行場ビースリー小飛行場(Cub Airstrip on Beasley Field)があった。

 

本部飛行場は沖縄戦のさなかの7月に日本本土進攻を目的としてアメリカ陸軍工兵隊とアメリカ海軍工兵隊シービーによって建設された。土地は強制接収され、当初、本部の住民は、もっとも運営状態の酷かった民間人収容所のひとつ、大浦崎収容所に送られた。約2キロの滑走路1本を備え、主に第5空軍隷下の飛行隊が1945年10月に本州に移動するまで使用した。その後は、弾薬集積場、また後年には海兵隊のヘリコプターや戦車等の演習地として利用されたが、復帰前に返還された。

 

場所: 本部町(字豊原、字山川、字北里、字新里、字具志堅、字謝花、字浦崎)

面積: 253.9ha

施設: 滑走路(1,500 m×50m)、誘導路、駐機場

 

上本部飛行場

1945年7月1日: 日本本土進攻の偵察機用飛行場として建設が始められ、同8月6日には最初の飛行機が着陸した。2本の滑走路を持つ飛行場とされた。
1947年: 周辺地域を接収し拡張整備を行い、幅50m、長さ1,500mの滑走路、誘導路などを建設。
1969年6月30日: 一部返還 (216,642坪 滑走路周縁部)
1971年6月30日: 全面返還 (551,569坪 滑走路) 返還

海自 アズオック基地建設計画

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上本部(本部、上本部補助、桃原)飛行場跡地: 空港探索:SSブログ

 
1978年: 沖縄開発庁 (当時) が境界不明地域として調査を開始。
1980年2月11日: 地籍が確定。
1988年: 防衛庁(当時) が海上自衛隊 P3C 哨戒機用基地(アズオック ASWOC 対潜水艦戦作戦センター用送信所)の建設計画を発表。建設用地の取得(買受・賃貸)を開始したが、地元住民の反対が起こる。
1993年: ASWOC用送信所建設反対町民運動総決起大会が開催される。
2008年7月: P3C哨戒機用基地(ASWOC用送信所)建設計画の中止が発表される。

 

地元への返還
2009年3月: ASWOC用送信所建設用地の民有地の賃貸契約が期限切れとなり地主に返還される。
2011年4月25日: ASWOC用送信所建設用地として買収された国有地(防衛省行政財産)が用途廃止され、普通財産として沖縄総合事務局(財務部)へ引継ぎされる。
2013年2月1日: 残りの国有地を7480万円で本部町が買い取る。
2014年、沖縄ハム総合食品が農業生産法人「もとぶウェルネスフーズ」を立ち上げ、農産加工場を建設する構想。

現在、飛行場跡地は農地や太陽光発電施設、民家、本部町立上本部小学校がある。舗装した滑走路の原状復帰には数億円かかるとみられるため、現在も滑走路の一部が残っている。

 

米軍は基地を作るが、後片付けすることもなく、そのままポイ捨てだ。そこに自衛隊が新基地を作ろうとする。住民は何年もかけて見張り小屋を作り、ついに返還させた。

何度も言うが、日本政府は多くの場合米軍基地をそのまま自衛隊基地に移管させ、それを「返還」とよんだ。そんなものは「返還」ではなく「移管」である。

 

米軍は荒れた滑走路をそのまま引き渡す。そのため滑走路の舗装も一部そのまま残っている。

 

 ビーズリー小飛行場