どまんなかに米軍の貯油施設
米軍は「沖縄返還」1972年5月15日の前日、5月14日に「与儀タンクファーム」を返還した。
撮影・国土地理院 1973/02/13 OK723Y-C112-3~4 及びC11-2
名称: 那覇第2貯油施設 与儀 タンクファーム
場所: 那覇市古波蔵、与儀、国場 3 返還面積 : 196千m2
1952年 石油オイルの貯蔵所として強制接収
1972年 196千m2が全部返還
接収の経緯: この地域は、那覇市東南部の住宅地域に隣接し、戦前から都市近郊農業が盛んに行われていた。しかし、米軍基地の拡張とその恒久化が図られていく中で、昭和27年、那覇港湾施設から嘉手納飛行場までの航空燃料の中継及び石油オイル貯蔵所として強制接収され、返還時まで貯蔵タンクが設置されていた。
返還の経緯 本土復帰前日の昭和47年5月14日に196千m2が返還され、全部返還となった。
現在の土地利用状況 返還跡地は、与儀地区土地区画整理事業が実施され、主に住宅用地として利用されている。
※与儀地区土地区画整理事業: 施行年度(昭和48年~平成9年) 区域決定[告示日](昭和48年3月1日) 換地処分[公告日](平成3年5月2日) 事業面積(38.8ha)」 総事業費(4,425百万円) 施行者(市)
那覇港から壺川、与儀、浦添へと続く米軍の油送管は国場川にかけられて一直線にのびていた。架設された板の道は児童生徒の登下校の通路だった。「那覇市教育史写真集-写真で見る那覇市教育のあゆみ-」 P177(1974)
【那覇第2貯油施設(与儀タンクファーム)】
返還面積:196千㎡(全部) 那覇市昭和27年に強制接収。那覇港湾施設から嘉手納飛行場までの航空燃料移送の中継地及び石油オイル貯蔵所用地として使用される。土地区画整理事業が施行され、現在、主に住宅地として利用されている。
戦後
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