FAC6055 牧港サービス事務所
牧港サービス事務所は、沖縄県浦添市牧港の国道58号線沿いにあった米軍基地の一つ。沖縄返還協定での米軍基地。
旧称: Post Service Office
改称: 牧港サービス事務所 (Machinato Service Office)
1973年6月30日、全返還。
牧港倉庫と牧港サービス事務所は、現在の58号線沿いにある、ブルーシールのアイスを通り過ぎて、あのパチンコ店の場所にあった。
まだ戦争と占領の苦しみの中で生きている住民とはうらはらに、牧港補給地区 (キャンプ・キンザー) のある浦添市は、米軍にとってはとても快適な街であっただろう。
1956年に牧港でオープンしたばかりの米軍の販売所 (コミッサリー) は、まるで
・・・今の会員制倉庫型店舗、コストコのようだ。
確かにコミッサリーは「会員制」である。
米国陸軍通信隊: The newly opened Machinato Commissary.
最近オープンした牧港コミッサリー
撮影地: 浦添市牧港 (1956年9月24日)
一方、1954年、比嘉秀平行政主席は、各地で再建途中にある子どもたちの学校の様子を視察してまわった。多くの学校が建設途中であったことが写真からもわかる。
比嘉秀平行政主席視察 校舎建設状況 浦添小学校にて (1954年9月)
あのコミッサリーがある、同じ浦添で、
子どもたちはまだこのような教室で授業を受けなければならなかった。
比嘉秀平行政主席視察 校舎建設状況 浦添小学校の茅葺き教室
前原高校は、またこの状態。
比嘉秀平行政主席視察 校舎建設状況 具志川 視察中最も校舎復旧工事の遅い前原高校 1954年
教室はまだ藁ぶきのところが多かったようだ。
比嘉秀平行政主席視察 名護 屋部小学校にて (1954年)
いっぽう、豊かな中部の平地をごっそりと占有した米軍は、そこがあたかもウエストコーストのサバービアであるかのような街を展開させた。そこには自分たちの計画が自由に構築できる「白紙」の地であった。
学校の奥にみえる住宅か施設にも注目してほしい。
米国陸軍通信隊 The Sukiran gymnasium. キャンプ瑞慶覧内の中学校 (1954年)
米国陸軍通信隊 Dependent housing area for NCO's and their families.
軍によって土地を線引きされ、人々はまったく異なる分離された世界を生きていた。
衣食住に事欠き、子どもたちの学校の再建すらが遅々として進まぬのは、とってもとってもつらかっただろうな。
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