米陸軍北部演習地「奥訓練場」

 

 

奥訓練場 (Oku Training Area)

あまりに大雑把な沖縄総合事務局の地図ではあるが、「奥訓練場」とされた地所が、北部訓練場から地続きで奥集落のある北の海岸まで伸びていることがわかる。実に広大な土地 (千百万坪) を米軍はC表の基地として日本に認めさせた。

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内閣府 沖縄総合事務局 やんばる国道物語:やんばるロードネット_北部国道事務所

 

使用実績のない広大な土地を米軍基地だとして主張し、C表に記載。C表とは、施政権移行後に返還される、あるいは自衛隊によって使用される米軍基地リストである。

 

1971年6月30日に「返還」 (List C)

北部訓練場は米海兵隊管轄だが、奥訓練場は米陸軍が主張した訓練場だった。

このうち陸軍北部演習地は「奥訓練場」と呼ばれた訓練場だったが、1971年6月30日琉球政府へ解放された(林野庁林政課、1975:23)。

森啓輔「米施政権下における北部訓練場の軍事的土地利用はいかになされたか」沖縄文化研究45 (2018) p. 424. PDF

 

しかし、米軍による沖縄島占領から 25年、ほとんど使用実績のない土地までも基地として申請し、沖縄市政権の移行時に、米軍基地から「返還」された土地として、数字を盛り込んだだけ、という批判がある。

 

つまりなぜ奥の地所が C表に参入されたのか、その根拠がない、という「沖縄返還協定了承覚書」問題である。

 

そこまで言えばきりがありません。ありませんが、いまの点はそこで切りますが、いま出た話の中に、奥訓練場という話が出てきた。ごまかしてはいけない。奥なんかほとんど使っていない。奥だけではない。第二瀬嵩訓練場だって使っていないから、使わないということになった。だから、(A表の) 七カ所だって、一日か二日しか使っていないのだから、そんなものは断わればいい。奥訓練場ははげ山だから言いますけれども、C表の中で返ってくるのは何と千五百万坪、坪数にして返ってくることになっているけれども、いま話の出た奥訓練場だけ一つで千百万坪ある。そうすると、C表は千五百万坪返ってくると大きなことを言うけれども、奥訓練場というとんでもないはげ山だけで千百万坪あるのだから、残りは四百万坪しかないのだ、C表なんというものは。まだその中に瀬嵩第二も入っている。C表もきわめてでたらめであります。

第67回国会 衆議院 沖縄返還協定特別委員会 第5号 昭和46年11月15日

 

こうした厳しい批判のため、非軍用地が日米合意で米軍基地として登録された他の地所と同様に、沖縄市政権移行 (1972年) に前倒しする形で、すぐさま「返還」されたことになったと思われる。

 

1971年6月30日に「返還」。

 

リスト C

Reversion to Japan of the Ryukyu and Daito Islands (origianal PDF)「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」の了承覚書には、List C (C表) として奥訓練場の名前がリストされている。

C表 … アメリカ合衆国政府が現に使用している設備及び用地で,沖縄の復帰の際又はその全部又は一部が使用を解除されるものには,次のものを含む・・・

7 奥訓練場

5.了解覚書

 

地域別の跡地利用状況

(1961年から2002年までの) 北部地域の返還面積は7,749.6ヘクタールで、全返還面積の65.3%を占めている。 北部地域における返還面積の47.4%が保全地として利用され、次いで公共事業による整備・利用が23.5%となっている。 北部地域は、山林が約7割を占め、沖縄本島随一の森林地帯として、県土保全、水源涵養等の機能を果たすとともに、動植物の貴重種の生息地や水資源の供給地として重要な役割を担っている。
そのため、保全地として利用されている跡地の96.3%を北部地域が占めており、そのほとんどは訓練場跡地(奥訓練場、北部訓練場、川田訓練場等)である。
公共事業については、農業基盤整備事業や水資源の開発、道路整備等の大規模な事業を中心に進められており、与世渡原畜産団地(奥訓練場)伊江島西部畑地土地改良事業伊江島補助飛行場)、福地ダム(川田訓練場)、沖縄自動車道(キャンプ・ハンセン)等がある。また、通信施設等の公共的利用として、海上保安庁ロランC局(慶佐次通信所)がある。

沖縄県「駐留軍用地跡地利用の現状」PDF

 

奥訓練場の総面積 3896 ヘクタール

米陸軍「奥訓練場」は 3895.9 ha の占有を主張していた。

返還

1970年 S45.2.15 - 36,000㎡ 返還

1971年 S46.6.30 - 38,923,000 返還

合計 38,959,000㎡

返還跡地利用状況 (単位:千㎡)

  1. 伊江林道開発事業 24 
  2. 楚洲林道開発事業 4
  3. 宜名真ダム 75
  4. 西銘岳特別保全地区 790
  5. 奥世皮原跡地畜産団地 1,040
  6. 天然林改良事業 4,348
  7. 人口造林事業 1,053
  8. 奥山地区農地開発事業 430
  9. 奥2号林道開発事業 22
  10. 奥団体営畑地灌漑事業 160
  11. 宇嘉農地開発事業250

沖縄県「市町村別・施設別返還跡地利用状況」PDF

 

琉球政府時代の国頭
米軍は、占領当初、奄美宮古八重山にそれぞれ民政府(次いで群島政府)を創設しましたが、やがて琉球全体の中央政府が望ましいと考えるようになりました。1952年(昭和27)4月1日、司法・立法・行政の権能を有する琉球政府が発足しましたが、その権能は米軍の完全なコントロールにありました。

1950年代

16-4. 奥 集落

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6-3. 奥 子供ら

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国頭村移動展 – 沖縄県公文書館

 

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