1962年10月28日未明、読谷の核巡航ミサイルメースBに発射命令がくだされた - 県民のあずかり知らぬところで沖縄が世界核戦争の前線に仕立てあげられていたこと、それは決して終わった話のことではない。

沖縄と核・・・。

 

米軍統治下の沖縄に最大1300発の核ミサイルが配備されていたことを機密資料などを掘りだして検証したNHKのスクープドキュメンタリー「沖縄と核」は、その衝撃で沖縄の地を鳴動させた。

 

翁長雄志知事は9月27日の県議会で「大きな衝撃を受けている」と感想を述べ、また沖縄の吉田勝廣政策調整監は、この沖縄と核について13項目を外務省に照会したと語った。 

 

沖縄県、「核配備」を外務省に照会 報道巡り計14項目 | 沖縄タイムス+プラス プレミアム | 沖縄タイムス+プラス

 

いま一度、2015年の News47 の記事を読んでみたい。

 

読谷村恩納村うるま市金武町の県内4カ所にメースB の基地が造られ、各8基が配備、計32の発射台がソ連や中国を標的にしていた。

 

そして

1962年10月28日未明、

嘉手納のミサイル運用センターから読谷の発射基地に発射命令が届く。

 

 

 

この時、一歩間違えば、沖縄を導火線として世界核戦争が引き起こされていただろう。

 

沖縄はそこに住む我々のまったくあずかり知らぬところで

アジア最大級の1300という核を配備させられ、

核戦争の舞台にしたてられていたのだ。

 

あたかも時効かのように誰も責任をとらぬまま、

いまふたたび新基地を作ろうとすることを思えば、

この記事を読んで今また胸がむかむかとする。

 

そこに生きる人間を無視して核配備し、

それで人権だの民主主義だの。

 

偽物の民主主義と核戦争のボタンは、

いまも私たちのそばにある。

 

【核70年の黙示録】(2)「沖縄とキューバ危機(上)」

核戦争の深淵のぞく 62年、一触即発の発射態勢 ボタン握った米兵たち

47NEWS

2015年02月28日

 

核ミサイル・メースBをバックにしたジョン・ボードン氏(左上)とビル・ホーン氏のコラージュ

核ミサイル・メースBをバックにしたジョン・ボードン氏(左上)とビル・ホーン氏のコラージュ

 

 「あの時、もう戦争は避けられないと思った。デフコン(防衛準備態勢)が準戦時態勢に引き上げられた際は、顔から血の気が引いた」

 「米国には二度と帰れないと思った。われわれが核ミサイルを放ち、ソ連も発射したら、帰れる場所はなくなるから」

 1962年秋、ソ連が米国を射程に収めた核ミサイルをキューバに搬入、米大統領ジョン・F・ケネディが軍事作戦を検討し、米ソ核交戦の手前まで行ったキューバ危機。極度の緊張が世界を襲う中、キューバから地球の裏側にある沖縄に、核戦争の 深淵 (しんえん) をのぞいた男たちがいた。

 沖縄に配備された核巡航ミサイル・メースBの「ボタン」を握った米軍兵だ。このほど複数の退役兵が、一触即発の発射態勢に置かれていた「沖縄の核」について証言した。2回にわたり彼らの肉声を紹介し、偶発的核使用のリスクを考える。

 

        2013年5月に報道関係者に公開された、沖縄県金武町にある核ミサイル・メースB発射基地の施設跡

2013年5月に報道関係者に公開された、沖縄県金武町にある核ミサイル・メースB発射基地の施設跡

▽標的は中ソ

 「沖縄に到着した時、ミサイル発射基地はまだ建設中で、大きな穴にコンクリートが流し込まれていた。地元作業員と一緒に土木作業を行った」

 テネシー州クックビルに住むビル・ホーン(71)は米空軍第873戦術ミサイル中隊の一員として61年9月、嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)に着任。その後、読谷村にメースBの発射基地が完成すると、嘉手納からバスで読谷に通った。

 「最初のミサイルが運び込まれたのは62年1月1日。約1週間で核弾頭付きの計8基を搬入し、(発射)待機状態にした」。ホーンの同僚の元ミサイル技師、ジョン・ボードン(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー在住=はこう証言した。

 読谷村に加え、恩納村、現在のうるま市金武町の県内計4カ所に基地が造られ、各8基のメースBが配備。計32の発射台東シナ海の向こうの中国とソ連にらんだ。

 ボードンらの任務は、24時間体制でメースBを命令があれば即刻発射できる状態にしておくことだった。普段は、ミサイルの動力をいったん落とし、弾頭や先端部分の覆い、操縦システムなどを点検した後、再び発射可能にする「リサイクル」と呼ばれる作業を行う。

 発射台の温度が40度近くになることもあり、作業は1~1・5時間。8時間シフトの残りは、発射管制室の脇にある控室でカードゲームに興じながら、いつ来るかもしれない発射命令に備えた。

 メースB発射基地の心臓部である発射管制室は地下約20メートルに建造。敵の核攻撃にも耐えられるよう設計された。

 

▽暗転

 嘉手納と読谷をバスで往復し、リサイクルとカードゲームを繰り返す単調な毎日。そんな日常が62年秋、暗転する。

 「諸君、キューバでゆゆしき事態が進行中だ」。62年10月5日、ボードンはシフト前の定例ブリーフィングで上官から、キューバで中距離ミサイル基地建設の動きが進んでいると伝えられた。

 ボードンは当時の日記を基に沖縄での体験を未出版の回想録に詳述しており、一部を引用しながら証言を続けた。

 「このブリーフィング後、事態はより深刻化した。『これまで訓練してきたことをいよいよ実践しなくてはならないのか』と思うようになり、キューバと人類の運命を深く案じた」

 ▽時計の針

 ボードンによると、メースBの担当官は62年9月の時点で「シートに覆われた細長い形状の貨物を積んだ船がソ連方面から航行中」との情報を耳にしていた。だがこの段階では、積み荷をミサイルと分析していた米中央情報局(CIA)も、多数の貨物船がどこへ向かうのか分からなかった。

 その後9月下旬から10月にかけ、その航跡が徐々に明らかになる。ホーンは「米軍潜水艦がキューバに向かう船舶を追跡していた」と語った。

 核のボタンを預かる沖縄の米兵が早くからキューバ情勢を注視する中、最高司令官のケネディが「ミサイル基地建設」の最初の極秘情報に接したのは10月16日。以降、大統領は関係閣僚と側近だけを集めた最高幹部会を連日開き、空爆や海上封鎖の選択肢を検討した。

 そして、ミサイル貨物船の航行を阻止する海上封鎖と臨検を決めた大統領は10月22日、国民向けテレビ演説で、ソ連によるキューバへのミサイル搬入を初めて公表した。

 これと同時に米軍は、計5段階のデフコンを一つ引き上げ「3」に。米ソ開戦を意味するデフコン「1」へと「核時計の針」(ホーン)が一つ進んだ。

▽アジア最大の「弾薬庫」 メースB、沖縄の核を象徴

 1972年の沖縄の本土復帰まで、米施政権下の沖縄には最大時で約1300発の核兵器が配備されていた。その数は韓国や台湾に搬入された米軍核戦力を大きく上回り、沖縄はまさにアジア・太平洋地域における「最大の核弾薬庫」だった。

 沖縄に持ち込まれた核の中でも、県内四つの発射基地に配備されていた核巡航ミサイル・メースBは「沖縄の核」を象徴する存在だった。射程は2千キロ超で、中国と極東ソ連を核攻撃の標的下に収めた。

 日本の外交文書によると、日本政府は被爆国の反核世論を意識して、メースBの沖縄搬入に神経をとがらせた。61年11月、小坂善太郎外相はラスク米国務長官に「メースなどを持ち込む際、事前に発表されるため、論議が起きている。事前に発表しないことはできないか」と打診している。

 今回証言した元米兵によると、メースB発射基地は3シフト交代の24時間体制。各基地に計8基が配備され、7人編成のチーム二つが各4基を管理運用していた。

 メースBの撤去が正式に決まったのは、「72年の核抜き返還」で日米が合意した69年の首脳会談。佐藤栄作首相とニクソン大統領は撤去方針発表で核抜き返還の意義を強調する一方、将来の沖縄への核再持ち込みを認める密約を新たに結んだ。

キューバ危機

 キューバ危機 ソ連は1962年、米国が打倒を目指すキューバカストロ政権を支援しようと、中距離核ミサイルを搬入。10月16日に報告を受けたケネディ大統領は22日に実態を公表、ミサイル基地撤去を求めキューバを海上封鎖した。米国はキューバからのミサイル攻撃への報復も宣言、核戦争の緊張が高まった。秘密交渉を経て米国はキューバ不可侵と、 トルコからの 対ソ攻撃用のミサイル撤去を約束。ソ連は28日に基地撤去を通告し13日間の危機は去った。

共同通信編集委員 太田昌克、敬称略)=2015年02月28日

 

【核70年の黙示録】(3)「沖縄とキューバ危機(下)」

 

脳裏よぎった文明の破滅 誤った発射命令、現場混乱 「核戦争防いだのは運」

47NEWS

 

「大統領の演説中はまるで教会のような静けさだった。テレビの前には200人ほどの人だかりができ、演説後は誰も口を利かなくなった。皆ぼうぜんとし、ショックを受けていた」

 1962年10月23日朝、沖縄の米軍嘉手納基地。第873戦術ミサイル中隊の技師ジョン・ボードン(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー在住=が見詰めるブラウン管には、険しい表情をした米大統領ジョン・F・ケネディの姿があった。

 ケネディは日付がまだ22日のホワイトハウスから米国民にこう訴えた。「『とらわれの島』で攻撃用ミサイル基地建設の事実が判明した。目的は西半球を核攻撃する能力構築以外にあり得ない」

 ケネディソ連キューバに核搭載用の中距離ミサイルを配備したと糾弾し、演説を続けた。「一体どれだけのコストと死傷者が出るのか、予測もできない。犠牲と自制の歳月が待ち構えている。しかし最大の危険は何も行動しないことだ」

 

        沖縄・読谷村にあったメースBの発射基地概要図。当時の日本政府関係者が記録し、その後所蔵していた(共同)

 ▽両親に疎開促す

 キューバへの空爆を検討していたケネディは演説で、国民に有事への覚悟と忍耐を求めた。ボードンはじめ、沖縄で核巡航ミサイル・メースBの運用を担当する米兵の脳裏には、米ソ核戦争のシナリオがよぎった。
 「とても不安になった。(出身州の米東部)ニュージャージーにいる家族や友人が心配で…」。それまで淡々と証言していたボードンが突如、言葉を詰まらせ、目にうっすら涙を浮かべた。

 大統領演説の前からキューバ情勢をめぐる機密情報に接していたボードンは両親に国際電話をかけ、自宅から南部のノースカロライナ州疎開するよう促した。だが機密漏えいは法に触れるため、ニューヨークがソ連の核攻撃対象であり、核交戦になれば実家も被害に遭うことは、肉親にさえ伝えられなかった。

 

 ▽戦争の一歩手前

 ボードン同様、沖縄・読谷村のメースB発射基地に 技師として勤務した ビル・ホーン(71)=テネシー州クックビル在住=も大統領演説を聞き「もう二度と家には帰れないと思った。平和は終わり戦争が起きると皆考えていた。文明が完全なる破滅に最も近づいた瞬間だった」。

 そして大統領演説から間もない10月24日、事態は緊迫の度合いを一気に増す。核戦争時の司令塔となる戦略空軍が 「デフコン(防衛準備態勢)」を3から準戦時の2 に引き上げたのだ 。

 「デフコン2は非常に憂慮すべき事態だ。なぜならデフコン1は全面戦争を意味するから。2は戦争の一歩手前だ」
 沖縄・恩納村のメースB発射基地に配属されていた ラリー・へーブマン(73)=ネバダスパークス在住=はこう回想し、「核ミサイルがすべて発射されれば、地球には物も人もほぼ何も残らない。今でもぞっとする」と言葉を継いだ。
 デフコン2の発令により、米軍の核部隊は15分で戦闘可能となった。

 

 ▽現存する脅威

 悪いことが続いた。10月27日、キューバ上空を飛行中の米U2偵察機が撃墜、緊張状態は頂点に達した。そして直後に、読谷村のメースB発射基地で異変が起きる。

 ボードンの証言と未出版の回想録によると、28日未明、発射基地地下にある発射管制室の無線が鳴った。「オー・マイ・ゴッド…」。同僚が叫ぶと、室内は騒然となる。

 嘉手納のミサイル運用センターから発射命令が届いたのだ。技師、副官、発射指揮官の順で3段階にわたり、送られてきた暗号が各自にあらかじめ与えられていた暗号と合うかどうか照合した結果、すべてが一致した。

 「しかし、標的情報を読み上げたら(自分が担当する計4基の)ミサイルのうち1基だけがソ連向け。残り3基は別の国を狙えとあった。なぜ関係ない国を巻き込むのか。何かおかしいということになり、発射指揮官が『命令の真偽を見極めよう』と言い出した

 ボードンはこう語り、理由は分からないが、発射命令が間違って伝達されていたと明言した。沖縄にある他の三つの発射基地にも誤った命令が同時に出されていた。

 ボードンは「別の国」を明らかにしないが、約2200キロ超の射程から、中国とみられる。

 当時の国防長官ロバート・マクナマラは生前こんな言葉を残している。

 「核戦争を防いだのは運だった。ケネディと(ソ連最高指導者の)フルシチョフ、(キューバ指導者の)カストロは理性的だった。そんな理性的な人々が自分たちの社会を完全破壊する寸前にいた。脅威は今も存在する」

 ▽ 現代に重大な教訓 サイバー、偶発使用の脅威 

 1962年のキューバ危機時に沖縄の核ミサイルが発射寸前の状態にあった事実は、約1万6千発の核兵器が現存する今日にも重大な教訓を突きつけている。それは偶発的核使用の恐れがゼロではないという現実だ。核保有国の核兵器統制システムがサイバーテロの標的となるリスクもある。

 危機当時、沖縄のメースB発射基地に配属されていたラリー・ヘーブマンはこう語る。「ミサイル発射のために沖縄にいた。撃てと命じられていたら、そうしていただろう」。命令に背くと軍法会議にかけられ、厳罰に処せられる下士官兵には他に選択肢がない。

 別の証言者ビル・ホーンは「(核兵器の管理システム自体に)大きな誤りがある。気の狂った発射指揮官がいて『戦争を始めよう』といい出したら(偶発的核戦争が)起こり得る」と言明。ジョン・ボードンも発射担当者が「ならず者化」する危険性に警鐘を鳴らす。

 テロリストがチェック体制をくぐり抜け入隊し、核兵器運用に携わる仕事に就かないとの保証はない。
 「核のボタン」を握る政治指導者と連絡が取れなくなる有事に備え、軍部に核使用の限定的な裁量が今なお認められている可能性がある。米国のみならずロシアや英国、パキスタンなどにも通底する問題だ。(敬称略)

 ◎デフコン

 デフコン 米軍の各部隊が取る防衛準備態勢で、最高度の1から5までの5段階。1は敵の侵略や攻撃準備を受け、戦争突入へ向けた極度に高い準備態勢で、核兵器での反撃も想定している。2は準戦時態勢を意味し、1962年10月のキューバ危機時に戦略空軍(現在の戦略軍)がこの態勢を取った。これまで1に引き上げられたことは一度もない。

共同通信編集委員 太田昌克、敬称略)=2015年03月28日

 

 

 

沖縄キャンプ知念はアジア最大の CIA (米中央情報局) の拠点だった - 核ミサイルから冷戦時代の捕虜収容所施設まで

沖縄県南城市

基地がないから実感がない。それで、

古謝市長がネトウヨのアレなかんじでも務まるのだとか言われるが、

 

いちやくネトウヨのヒーローになった古謝市長。

hannichigukoku.info

 

uyouyomuseum.hatenadiary.jp

  

知念補給地区 に対する画像結果

 

南部は地獄の沖縄戦

その舞台となっただけではない。

 

実に知念半島は、戦後、

アジア屈指の米軍情報戦略の拠点となっていた。

 

今は、琉球ゴルフ倶楽部となっている土地

そこにキャンプ知念 (知念補給地区) はあった。

 

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キャンプ知念のメインゲートが現在ではゴルフコースのゲートに。

 

キャンプ知念、

今でいうグアンタナモのような、

その基地の性格からして、

最も閉鎖的で得体のしれない基地。

 

その存在は、本土復帰前の1971年、

国防総省の高官が持ち出した極秘文書が、

ニューヨーク・タイムス紙とワシントン・ポスト紙に暴露され、問題化されて閉鎖されることになった。

 

もし、ここも全面返還されてなかったとしたら、

いったいどんなことになっていただろうか。

 

それでも、日本維新の会儀間光男参院議員のように、

 

辺野古を差し出してでもこの問題を決着し、代わりに嘉手納以南を完全に振興するという担保を国から取るべきだ」辺野古を造るのに4千億、5千億円かかる。それだったら、嘉手納以南の沖縄全体で1兆、2兆円もらうべきだ」と言いだす平和ボケまでいる。

 

儀間氏「辺野古差し出せ」 早期決着へ容認に転換「嘉手納以南振興を」

 2017年8月31日 10:34  琉球新報

 米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地計画について、日本維新の会県総支部代表の儀間光男参院議員は30日、那覇市内で開いた政治資金パーティーで「(翁長雄志)知事は辺野古を差し出してでもこの問題を決着し、代わりに嘉手納以南を完全に振興するという担保を国から取るべきだ」と述べた。これまで儀間氏は辺野古移設を容認しない立場だったが、今回の発言で容認に転じた。

 発言後、儀間氏は取材に対し「このままでは国権に勝てない。(沖縄側が)突っ張っているうちに墜落事故が起きたら誰も責任を取れない」と述べ、辺野古移設を容認することで早期決着を図るべきだとの考えを示した。その上で「辺野古を造るのに4千億、5千億円かかる。それだったら、嘉手納以南の沖縄全体で1兆、2兆円もらうべきだ」と主張した。

 今後、維新の会県総支部の方針とするか、支部内で議論していく考えも示した。一方、県総支部顧問の下地幹郎衆院議員は、本紙の取材に対して「(儀間氏の)個人的な考えであり、党の考えではない。党内で議論しない」と否定した。

 

沖縄県民みんなが苦しんできた、この状態で。

 

これ以上、差し出す沖縄の土地や命があるとでも ?

 

人間の根っこが

その土地と歴史に根差していないなら

ただただ浅薄に目先のカネにふりまわされる政治屋になる。

 

あっちに買われ、こっちに売られ、

そんな政治屋は各所で引く手あまただが、

住民や住民の生活を、平気で自分のポケットマネーのために売る、そんな政治屋だ。

 

あまり知られていない、というか、「復帰後も秘密のベールに」つつまれてきた、南城市にかつてあったキャンプ知念について、沖縄タイムス (ジョン・ミッチェル氏取材) の記事も含め、簡単にまとめてみた。

 

米CIA沖縄基地 元従業員が詳細語る
2013年4月22日 09時20分


1972年5月の本土復帰時まで、米中央情報局(CIA)の沖縄基地があった「知念補給地区」(旧玉城村、通称・キャンプ知念)内に、外国人捕虜などを拘禁する秘密収容施設が存在するなど、基地内の施設配置やその用途などの詳細が21日までに分かった。同基地で働いていた複数の元従業員が沖縄タイムスの取材で明らかにした。

 米公文書を研究する専門家は「米軍の占領下、謀略の拠点であり、地図は大変興味深い。同基地は当時、CIAのアジア最大の基地だったと考えられる」と指摘している。(吉田伸)

 CIA沖縄基地だったキャンプ知念の配置図は、沖縄タイムスがことし3月に県公文書館で入手した琉球政府時代の地図を基に、元従業員らに聞き取り調査を行って作製した。

 複数の元従業員らの証言によると、秘密収容施設は基地南側の森に囲まれた「Zエリア」と呼ばれる地域に3棟あった。さらに基地の東側にはコンセット型の建物があり、従業員の立ち入りは厳しく制限されていたという。

 

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 元従業員らは、朝鮮戦争があった50年代から60年代にかけて、アジア系外国人が秘密収容施設に収容される様子も目撃していた。また米国籍とみられる語学専門官の職員が働いており、外国人を収容する際、ともに収容施設で過ごしていたと証言した。

 別の従業員らによると、同基地内では軍人の姿はほぼ見られず、勤務していた職員はワシントンから約3年交代で赴任したという。沖縄の別の米軍基地から出入りする米軍関係者はおらず、米国民政府(USCAR)の最高責任者だった高等弁務官ですら訪問時には所定の手続きが必要だったようだ。

 50年代、警備職だった山入端常雄さん(80)=南城市=は「銃を持たされ、金網から逃げる者があれば、どこでも撃っていいと命令されていた」と明かした。

 キャンプ知念がCIA沖縄基地だったことは復帰前年の71年7月、米紙ニューヨーク・タイムズが米国防総省の秘密文書を基に報じた。だが、詳細については明らかにされておらず、復帰後も秘密のベールに包まれてきた。


[ことば]

 知念補給地区 旧玉城村(現南城市)の面積の半分近くを占め、仲村渠はじめ親慶原、垣花、玉城など計8集落179・5ヘクタールに及んだ。朝鮮戦争が勃発した翌年の51年、「混成サービス群(CSG部隊)」が移駐。72年5月14日撤退した。74年に全面返還。77年、跡地に琉球ゴルフ倶楽部が整備された。

 

 

【沖縄とCIA ロバート・ジャクソン回顧録】

 

(1)アジア謀略作戦の拠点 森に隠れ家、特殊訓練も

2017年8月17日 00:00 沖縄タイムス 

 

 CIA要員の子どもとしてキャンプ知念で暮らしたロバート・ジャクソン氏の回顧録を4回に分けて掲載する。

 

□    □

 私の父は沖縄の米中央情報局(CIA)要員だった。

 1960年代から70年代初頭にかけて、私たちはキャンプ知念に住んでいた。表向きは陸軍の補給施設とされ、外側からはリゾート施設のようにも見えた。島の東部にある180ヘクタール近い広大な敷地にパステルカラーの家100軒、レストラン、教会、9ホールのゴルフ場があった。その見掛けとは裏腹に、CIA施設の中で最も機密性が高く、アジア全体の任務に大きな役割を果たす施設だった。

 キャンプ知念は51年に創設された。米バージニア州ラングレーにあるCIA本部とアジア各地の施設をつなぐ通信アンテナを備えていた。うっそうとした森に覆われた区域には隠れ家があり、外国人が特殊訓練を受けていた。倉庫には消音器付きの銃、通信機器、船外エンジンを静かに改良した小型ボートなど、秘密作戦用の装備があった。

 技術者が働く「ショップ」と呼ばれる工房は、保安のためダイヤル式の錠が毎月交換されていた。彼らは盗聴、写真、武器の専門家だった。備品室にはパスポートを偽造、改ざんするため、タイプライター、入国管理局のスタンプ、ありとあらゆる種類の紙、インク、のりがそろっていた。工具で鍵を開ける練習をしたり、合鍵を作ったりするため外国の錠前もあった。

 倉庫の一つでは、沖縄住民の職員が投下作戦用のパラシュートを袋詰めしていた。ラオスでの秘密戦でも使われたものだ。沖縄の職員はCIAのために働いていることも、数千に上るパラシュートの行き先や目的も知らされていなかった。

 60年代、冷戦はピークにあり、海外任務は多かった。要員はいつでもCIA本部からの指令に備えていなければならなかった。タイの首都バンコクにあるソ連駐在武官の事務所に盗聴器を仕掛けるといった任務も、知念の担当だった。

 ほかに、中国軍人が香港から脱出するのを助けた。インドネシアのパスポートや雇用書類を偽造した。中国人要員に超小型カメラの使い方を訓練した。ベトナム戦争中、北ベトナムが建設した補給路ホーチミン・ルートに沿って、電話を傍受する太陽光発電システムを設置した。

 任務に危険はつきものだった。東南アジアに米軍の飛行機やヘリコプターで潜入した。銃撃や悪天候、事故、故障で要員の命が奪われたが、その数は公表されていない。

 知念で勤務したある要員は60年、キューバの首都ハバナで中国の通信社に盗聴器を仕掛けたところを現行犯で捕まった。別の知念経験者は70年代、イランのCIA施設の責任者を務めている時に拘束された。(構成=ジョン・ミッチェル特約通信員)

 

 

(写図説明)キャンプ知念内にあったゴルフ場(ロバート・ジャクソン氏提供)

 

(2)秘密主義 父の任務、詳細分からず

2017年8月19日 00:00 沖縄タイムス

 米中央情報局(CIA)要員の海外勤務はたいてい3年だった。父は1963〜66年と69〜72年の2回、沖縄勤務を経験した。私たち家族が最初にキャンプ知念に来た時、私は3歳で、最後に離れた時は12歳だった。当時は父の仕事や自分が住んでいる施設の詳細はほとんど知らなかった。

 私が育った環境で、「秘密」は大切な要素だった。CIA要員の子どもたちにとって、父の仕事というのはブラックホールのようなものだった。 分かっていたのは、施設内に立ち入り禁止区域がたくさんあること、父が時に数週間にわたって海外出張に行くこと。自宅の電話に出る時は、名乗らずに割り振られた番号を言うようにと教えられた。

 父は派遣先から土産を買ってきてくれた。インドの彫刻、インドネシアの籠、フィリピンの人形など。夕食後、一緒にアイスクリームを食べながらアジアの農場や森を写したスライドを見ることもあった。

 通っていた米軍人子弟用の学校はキャンプ知念の外にあり、先生に父の仕事について聞かれると、私はあいまいに答えざるを得なかった。父からは「陸軍で働く民間人」と答えるよう教えられていたが、私はそれがうそだと知っていた。秘密のベールが、かえって学校の職員に知念で何が起きているのかという疑念を抱かせていた。実は核ミサイル基地で、ゴルフ場のフェアウエーの下に格納庫が隠されていると考える人もいた。

 姉も先生に父の仕事を聞かれ、口ごもりながら「本当に知りません」と答えたことがあった。大人たちは大笑いしたという。

 私が大人になって初めて、父が施設の詳細や危険な任務について話してくれるようになった。東ベルリンで監視任務に就いていた時、シュタージ(秘密警察)に拘束されそうになったこと。アジアのある国の首都で政府高官の文書を入れ替える任務に失敗し、やはり捕まりそうになったこと。ベトナムや南米でも施設に侵入しようとして命の危険を冒したこと。私は父を尊敬していたが、父のことを何も知らなかったということを知った。

 父やキャンプ知念の同僚たちが冷戦構造についてどう考えていたか、任務で良心が痛むことがあったのかは分からない。私から見ると彼らは礼儀正しく、仕事熱心で、家族思いな人々だった。特に第2次世界大戦や朝鮮戦争の従軍経験者は、CIAの仕事は必要であり名誉なことだと考えていた。(構成=ジョン・ミッチェル特約通信員)

 

(写図説明)アジアの国で活動するロバート・ジャクソン氏の父=1970年(提供)

 

(3)子どもの目 楽園の裏に占領の実態

2017年8月31日 18:42 沖縄タイムス

 私たち子どもは、思わぬところで米中央情報局(CIA)技術者たちの高度な技術の「恩恵」を受けることがあった。

 補給部隊の人たちは「ハブの丘特急」を作ってくれた。まるで本物のような列車で、私たちを乗せて施設内を回った。7月4日(米独立記念日)の花火は、爆発物専門家が手掛けた。射撃コンテストでは、いずれ東南アジアのゲリラに渡される本物のライフルを私たちが使った。

 1960年代には、沖縄戦の痕跡が至る所にあった。キャンプ知念の半分ほどはうっそうとした森に覆われていて、私たちはよく洞窟やトンネルを探検した。軍の認識票、壊れた道具や兵器といった遺品を掘り出すことも多かった。友達の一人は頭蓋骨の前の部分を見つけ、シャツにくるんで見せてくれた。もっとも翌朝、お父さんの言いつけで元々あった所に埋め直していた。

 戦争の傷跡を除けば、キャンプ知念は楽園のような所だった。アサガオ、コスモス、アイリスが咲いていた。春になると数千の白ユリが香りを放った。自宅前の道はハイビスカスやリュウキュウマツの植栽で縁取られていた。

 後になって、知念での恵まれた生活の背景には醜い軍事占領があったことを知った。当時、沖縄には核ミサイル基地膨大な化学兵器の集積があり、驚くほど要塞(ようさい)化されていた。耕作に適した土地が取り上げられ、「在日」米軍基地の大半が沖縄にあった。

 CIA施設は世界のどこでも米軍基地の中に秘匿する必要があった。だが米軍支配下の沖縄では隠す必要が少なく、キャンプ知念として存在できた。それでも本土復帰が決まると施設の存在が問題含みとなり、72年7月31日までに閉鎖するよう通達された。

 閉鎖までの数カ月ははっきり覚えている。慌ただしく、感傷的な日々だった。仕分け、荷造り、そして涙の別れの後、それぞれの家族が新たな海外任務に旅立っていった。私たちは6月12日に沖縄を去った。沖縄の家政婦が涙を流し、白いハンカチを振ってくれた。

 CIAが去った後、キャンプ知念の管理は陸軍第1特殊作戦群(グリーンベレー)に移り、訓練拠点や語学学校として使われた。CIAもラオスカンボジアベトナムで作戦を続けていて、補給拠点の役割は引き続き果たした。沖縄の職員の雇用は特殊作戦群に引き継がれた。

 東南アジアの紛争は下火になり、陸軍も74年に去った。跡地は日本側、地主に返還された。(構成=ジョン・ミッチェル特約通信員)

 

(写図説明)ジャクソン氏が解説したキャンプ知念の航空写真

 

(4)40年ぶり「知念」再会 沖縄の基地存続は不正義

2017年8月31日 18:45 沖縄タイムス

 沖縄を出てから数十年後、私は偶然「知念」と再会した。子どもの頃の自宅を探してみようと思い、インターネットで衛星写真を探した。驚いたことに、そこにはキャンプ知念の一部が写っていた。

 それからというもの、沖縄は再び私の人生の一部になった。今も沖縄の人々が直面する米軍基地問題について学ぶようになった。

 沖縄訪問を決めるのに時間はかからなかった。約40年ぶりに那覇空港に降り立ち、翌朝タクシーで知念に向かった。そこで米中央情報局(CIA)施設の跡地にゴルフ場が建つシュールな光景を見た。

 琉球ゴルフ倶楽部はその日休業だったが、支配人は私の来意を知ると、自由に散策させてくれた。あまりの変化に、私は衝撃を受けた。倉庫群、技術者の「ショップ」は跡形もなかった。隠れ家が立っていた場所の一つはグリーンになっていた。ライフル射撃場はフェアウエーだった。

 ただ、面影はあちこちにあった。100軒あった家のいくつかはそのまま残っていて、草刈り用具やゴルフカートの倉庫に使われていた。壊れてさびた街灯の柱は、私が毎朝スクールバスを待っていた場所だった。友達と登った木も見つけられた。そこで私たちは、ベトナムのゲリラの石弓をどっちが遠くまで飛ばせるか、競ったものだった。

 帰り際に、ゴルフ場のスタッフ3人と会った。彼らはここが元々米軍基地だったことに驚いていた。CIAにはあえて触れなかったが、持ってきた写真を見せた。自宅前の芝生に座る父と私たちきょうだいが写っていた。言葉の壁はあったが、スタッフは目に涙をためていた。私が戻ってきた理由を分かってくれたようだった。

 滞在中は、ほかにもさまざまな場所を訪れた。糸満市平和祈念公園恩納村のミサイル基地跡地は、沖縄の人々が第2次世界大戦や冷戦の最前線に立たされたことを示していた。移動中に通りかかった牧港補給地区や嘉手納、その他の基地は私が去った時と同じようにそこにあった。

 沖縄に今も基地があるという事実は、私を深く困惑させる。兵士による沖縄女性への暴力が頻発していることもショッキングだ。冷戦がおよそ30年前に終わったことを考えれば、米軍の存在は沖縄の人々に対する大きな不正義であり、米国の戦略的にも不必要ではないだろうか。

 私の父も、沖縄の基地が閉鎖されることを願っていた。彼はその長い人生の中で、嫌というほど戦争を見ていた。もはや米国が世界中に大規模な軍事力を維持する必要はないと信じていた。父は2015年、97歳で死去した。

(構成=ジョン・ミッチェル特約通信員)=おわり

 

(写図説明)自宅前の芝生に座るロバート・ジャクソン氏(左)と父、きょうだい=1965年、キャンプ知念(提供)

 

matome.naver.jp

 

USN covert ops early Vietnam | Talking Proud

TF 98 further provided clandestine transportation for Vietnamese trainees to a “secret training site,” which one author suggests was at the US Army’s Camp Chinen which was said to be a paramilitary support asset.

CampChinenHousing

Video grab from “Okinawa - Chinen Base Housing ghost-town”, taken after CIA left


This contention appears to be validated by “The Pentagon Papers,” which contained among other things a 1961 memo from Lansdale to General Maxwell Baylor. It said this:

“Okinawa Station is in itself a paramilitary support asset and, in critical situations calling for extensive support of Unconventional Warfare (UW) activity in the Far East, could be devoted in its entirety to this mission. Located at Camp Chinen, it comprises a self-contained base under Army cover with facilities of all types necessary to the storage, testing, packaging, procurement and delivery of supplies-ranging from weapons and explosives to medical and clothing. Because of it being a controlled area, it can accommodate admirably the holding of black bodies in singletons or small groups, as well as small groups of trainees ..."

The
Okinawa Times also talked about Camp Chinen in an article of September 28, 1971. It said this:

“Camp Chinen’s Composite Service Group (CSG) in Tamagusuku-son is the Okinawa branch of the CIA ... According
to the secret Pentagon papers, after President Kennedy issued concrete orders for secret operations in Vietnam in
1961, Brig Gen Edward K. Lansdale, a guerrilla warfare expert in the Joint Chiefs of Staff, submitted a memorandum to Gen Maxwell D. Taylor, military advisor to President Kennedy, concerning ‘the resources for unconventional warfare in Southeast Asia.’ In this memorandum Camp Chinen is clearly listed as CIA's Okinawa branch. The paper also says that the camp with its facilities looks like a self-sustaining base under army protection, that it has all kinds of facilities necessary to store, test, pack, procure, and supply all materials from munitions and explosives to medical supplies and clothing, and that it is best suited to shelter secret agents ... However, what the camp really is has been unknown, and rumor has it that it is a ‘spy school’ or an ‘intelligence organization’ ... According to villagers, there are natural caves in several places inside the compound, and the camp is really best suited to shelter agents, as pointed out by the secret Pentagon paper. In addition, CSG has its own ammunition storage in Chibana depot and it has its own facilities inside Chibana depot under CIA's code name of ‘CAS.’”

The
Okinawa Times also said:

“Two of the buildings inside the camp were enclosed by double barbed-wire fences and looked like a school.
What appeared to be a teacher who was dressed in civvies carried a revolver on his hip..."

Aerial Photo Camp Chinen 19710516 copy 2

I'd like to stick with Camp Chinen for a moment. A reader who lived there and is very familiar with it sent me some good, quite credible information about the camp, including the aerial photo above, which shows Camp Chinen in the lower left:

"Camp Chinen was operational from 1950 through July 1972. In addition to its Technical Service Division (TSD now OTS), Camp Chinen housed a logistical unit in a series of nine warehouses. These supplied all sorts of equipment--from weapons to clothing--for Agency (CIA) operations throughout SE Asia. Among these were a variety of boats used in maritime operations in Vietnam. Among the most popular was the 16 ft. Boston Whaler, painted grey, and equipped with 40 hp Johnson engines that had been 'suppressed' by a technician at Chinen. The base had long-term contracts with CAT and Air America for transporting equipment from Naha to Saigon, Bangkok, or anywhere else. Some items also went by ship.

"Regarding the now-public descriptions of Camp Chinen which you cite--Chinen was a technical and logistical support base, and was not used for training commandoes. (By the way, Saipan closed in 1962.) Nor were prisoners held there. Additionally, no one walked around armed, except the base guards, who were all Okinawans. The base was nominally under US Army cover, but that was a rather thin veneer as no evidence of the 'Army' was visible inside or outside the base. It was purely CIA, and it's main disguise was its very innocuousness. Officially, it was known as the US Army First Composite Unit (FCU) from 1951-1957. From 1957 through 1972, it was the US Army Composite Service Group (CSG or sometimes USACSG). The CIA left the base in the summer of 1972 (after Okinawa's reversion in May) and it was then occupied by the US 1st Special Forces Airborne until late 1974. They used it for training and for language study. They also continued the air-supply responsibilities for Laos, Cambodia, and Vietnam that the Agency had been operating while they were on the base. Today,the entire site has been transformed into the Ryukyu Golf Club, and, as of 2014, no evidence of Camp Chinen remains."

He later added this:

"I should probably add one caveat: to my knowledge no prisoners were ever brought to Chinen. I know Lansdale refers to "black bodies"--which some have interpreted as 'prisoners,' but that wasn't necessarily the case. 'Black bodies' can be agents brought in 'black'—i.e., without any knowledge of where they are. Indeed, 'going in black' was a common expression meaning 'without official permission or documentation.' Again, I can't say with absolute certainty that the Agency never brought a prisoner of some sort to the base, but it is highly unlikely. Chinen just wasn't set up for that sort of thing, and interrogations/polygraphs were generally conducted in the country of operation. We did have three safe-houses on the base, but they were used mainly for visitors (sometimes foreign) who were brought in for some specialized technical training. I know of one instance when a PRC boat went aground on Okinawa after a storm. A few people from Chinen went down to interview the men, but that was done at Kadena, not at Chinen. It turns out they were just poor fishermen, so they were given food, clothing, and medical care, then sent back to PRC at USG expense. "

誤解だらけで米軍基地 (3) 本土の人々の生活と五十数機もの原発を防備するため、地理的優位性の高い場所はどこか - 「朝鮮有事、沖縄遠すぎる」

 

防衛とはとはなにか

 

英語で言われた方がわかりやすい時がある。

すなわち ディフェンス (defense) ということ。

 

何を守るかって、

第一に国民の命である。

 

よもや国民の命より

(尖閣のような) 無人島のほうが大切だとは思うまい。

 

そして国民の生命と生活を守るため、

まず防備しなければならないのは、

日本の本土に50数機もある原子力発電所だ。

 

原子力 に対する画像結果

 

まさか原発の防備より

(尖閣のような) 無人島が優先されるべきとは思うまい

 

日本の原発 に対する画像結果 

 

で、どうやってこれら50数機もある原発

あらゆる軍事的危機からまもるのかな。

 

有名になった話だが、もう一度確認しよう。

 

「原発にミサイルを撃ち込まれたら? 」山本太郎議員の質問は杞憂 | THE PAGE(ザ・ページ)

原発に弾道ミサイルが撃ち込まれたらどう対処するのか?」この疑問を「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎議員が国会で質問し、原子力規制委員会の田中俊一委員長は「そのような事態は原発の設置者に対策を求めていない」と答弁しました。

 

原発 攻撃 に対する画像結果

 

つまり、

事実上、原発にはなんの防御の用意もない (;゚Д゚)

ということだ。

 

そして IRONNA などで広く拡散された上記の記事によると、その質問は山田太郎の「杞憂」(無用の心配) であると主張する、その根拠としているものをここにあげておく

 

1. 弾道ミサイルに原発を狙えるピンポイント攻撃能力はない

 ➡ 撃っても当たらないだろうという希望的観測

 

2. 核弾頭を保有しているなら原発を狙う必要がない

 ➡ 核弾頭があるから原発は狙わないだろうという希望的観測

 

3. 原発への攻撃は戦時国際法違反となる

 ➡ 原発など重要施設は破壊しないというジュネーブ条約を守るだろうという希望的観測 

 

4. ミサイル攻撃よりテロ攻撃の危険性が高い

 ➡ より危険度が高いテロ対策の方に特化すべきだという問題すり替え

 

さんざん尖閣がー ! 尖閣がー !

大騒ぎしている一方で

原発攻撃に関する

この感動的なまでの楽観主義はなんだ !

 

ミサイル 避難 訓練 に対する画像結果

 

 

運と相手の良心にたよる

希望的観測で構成された原発防衛。

 

それで「心配は無用」というなら、

そもそも防衛は一切要ない。

 

しかも、特殊訓練をうけた元自衛官が、命を惜しまなければ一人で原発は破壊できる、とも語っている。しかもイマドキは特殊工作員がいなくともドローンがある。

(再掲)岩上安身が元陸上自衛官・末延隆成氏に直撃インタビュー!「トモダチ作戦」の裏の目的は島嶼奪還訓練だった? 「私程度の訓練を受けた者なら、一人で原発を破壊できる」 | IWJ Independent Web Journal

 

日本の原発だけではない。

 

日本の近海をうろうろとしている

米軍の原子力潜水艦原子力空母はどうだ?

 

USS Virginia

Virginia Class submarine

 

米原潜寄港 最多の65回 昨年/日本国内 背景に「アジア重視」戦略

米原子力艦の寄港情報 - 神奈川県ホームページ

 

日本の近海には想像を超える数の米軍の原子力艦が往来あるいは寄港している。また安倍政権・自民党はこうした原子力艦の特性を大いに称賛し、自衛隊にも導入したいと考えているようだ。

 

これらの動力源は内蔵する小さな原子炉であり、また、これらはまずもって機の攻撃対象だが、動きの遅いこうした原子力艦が攻撃対象となった場合はどうするのか。

 

答えは・・・

 

優れたレーダーを搭載しているので攻撃を受けないだろう、ということを前提に、

なんらの事故をも想定されてはいない 

 

なぜこんなことを言いたかったかというと、

 

まず、(日本の) 防衛学というのは

決められた碁盤の上でしかものを考えない、

 

 

ご都合主義な危機管理であって、

都合の悪いことはすべて「想定外」。

 

都合の悪いことは

何も考えてないし、

考えようともしない。

 

そして、

このご都合主義を最も端的に表すのが

沖縄の防衛上の

「地理的優位性」という神話だ。

 

 

国土防衛のために米軍基地が必要

そう主張するならば、

 

沖縄にその多くの基地を集中させることは

ほんとうに理にかなっていることなのか

 

 

防衛をメルカトル図法で考えるな。

 

弾道ミサイルは北を目指す !

 

弾道ミサイルの画像 p1_19

北朝鮮を中心とする弾道ミサイルの射程 さらに、発射実験をほとんど行うことなく弾道ミサイル開発が

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2005/2005/html/17132100.html

登録日 : 2016-02-08 タグ : 弾道ミサイル

 

図:北朝鮮の弾道ミサイルの射程(想定) 北朝鮮の弾道ミサイルの射程(想定) 米、迎撃ミサイル14

米、迎撃ミサイル14基増強 北朝鮮の脅威でアラスカに
掲載元 : http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201303160042.html

 

自動代替テキストはありません。

http://www.news24.jp/articles/2017/07/29/04368273.html

北朝鮮が28日夜、日本海に向けて弾道ミサイルを発射した。弾道ミサイルは約45分間、飛しょうした後、日本の排他的経済水域(=EEZ)内に落下したものとみられる。

 

地理的に重要だから海兵隊を置くのか?【誤解だらけの沖縄基地・3】 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス

 

 

「地理的優位性」という神話の崩壊をみせつけた朝鮮半島問題 - 「九州が一番合理的」とマイク・モチヅキ教授 - Osprey Fuan Club

在沖海兵隊 グアム移転見直し マイク・モチヅキ氏に聞く 

九州が一番合理的 「朝鮮有事、沖縄遠すぎる」

在沖海兵隊 グアム移転見直し マイク・モチヅキ氏に聞く 九州が一番合理的 「朝鮮有事、沖縄遠すぎる」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

 「日米両政府は今まで抑止力の観点から辺野古への移設計画を進めると主張してきたが、今後は危機管理、危機対応の議論がより必要だ。これまでも言われてきたが、万が一、朝鮮半島が有事になった場合、沖縄では遠すぎる

 

  海兵隊の輸送揚陸艦佐世保基地長崎県)に、戦闘機や給油機の部隊は岩国基地山口県)にある。九州で、米軍と自衛隊が共同使用できる場所を陸上に造ることが一番合理的だと思う。埋め立てでなく、既存施設も検討できる。もちろん地元は『来てほしい』と言わないだろうが、しっかり交渉して何らかの妥協を見いださなければならない。沖縄県民を納得させるより、早く実現できると思う

 

 

 

 

沖縄に基地を押しつけるため

これまで様々なレトリックが考案されてきた。

 

しかし、地理的優位性というレトリックほど、

悪意に満ちたご都合主義はない。

 

もう二度と、

沖縄に基地を押しつける口実として

地理的優位性などと言う

レ/トリックを使わせてはならない。

 

地理的優位性を説くなら、

少なくともそれは沖縄ではない !

 

 

< 夏休みの課題 >

 

<< Quiz 3 >>

さて、ここで問題です。

日本政府がよくつかう「沖縄の地理的優位性」とは
いったい何を意味しているのでしょう。

( 1 ) 攻撃ターゲットにされる軍事基地は周縁に置くほうがいい

( 2 ) 基地依存経済を振興するため米軍基地は沖縄に置くほうがいい。

( 3 ) 嫌われる施設は構造的差別下にある場所に NIMBY するのがいい。

( 4 ) 沖縄県は日本を標的とする攻撃に即座に対応できる位置にある。

 

誤解だらけで米軍基地 (2) 海兵隊は尖閣諸島を守るとか、まだそんなことを信じている人はいるのかな

在沖海兵隊尖閣諸島を守る

だから辺野古の新基地が必要だとか

まだそんな神話を信じている人がいるのかな。

 

尖閣諸島 地図 に対する画像結果

 

あるミリオタ投稿から

先日、ある中堅企業の会長と話をしていたら、ある調査結果に呆れているという。その調査によると、日本と中共尖閣で小競り合い(戦争)を始めた場合を想定すると、日本の一般女性のほぼ100%が、米国が護ってくれると信じているそうだ。どの程度信憑性のある調査か知らないが、世間知らずにも程がある。女性だけではない。男性の多くも日米安保尖閣諸島に適用されるという米国のリップサービスを信じている。日本国民の劣化度合いを見せ付けられるにつけ、暗澹たる気分になる。

 

いや、

 

尖閣諸島の監視と警備を担うのは

第11管区海上保安本部

中国海軍に対応するのは海上自衛隊だ。

 

では、有事の際には米軍基地の海兵隊は動くのか。

 

残念ながら、在沖海兵隊の多くは訓練部隊であり

有事に動ける実働部隊でもなく、またその準備もない。

 

toyokeizai.net

 

いわば工具を持っていない素人大工のようなものだ。

あるいは幽霊部隊。

 

勘違いしている人が多すぎる。

海兵隊の訓練部隊は対中国のためにいるのではない。

 

それではなぜ海兵隊は沖縄に駐留しているのか

 

① 予算もなく困窮している海兵隊が、

我々から潤沢なおもいやり予算をひきだすため、

 

② 沖縄でなんの遠慮もなく

やりたい放題の訓練を行うためだ。

 

米国のどこでこんな訓練ができるかな。

 

そして、

肝心の11管区海上保安本部といえば、

中国公船に対してというよりも、

むしろ辺野古で激しく力を振るっているようだ。

 

海保 辺野古 女性 に対する画像結果

 

女性を海に何度も沈めようとする海保、何度も助けてと叫ぶ女性。接続水域を航行する外国船に対してより、辺野古の警備のほうにその重点をあててやいませんか。

 

ほんとうに恐ろしいですな、やることが。

 

ryukyushimpo.jp

youtu.be

 

 

日米ガイドラインでは、尖閣が占領されたとしても海兵隊が出撃して取り返してくれる、という筋書きは存在しない。

ゆえに辺野古に新基地をつくり海兵隊を置きたいのはアメリカの希望ではない。もともとエアシー・バトル(ASB)構想では、有事の際に米軍は海兵隊をグアムまで後退させる、という戦略をたてている。

また米軍は、尖閣海兵隊の上陸作戦なくして奪還できると明言している。

 

普天間飛行場がなければ尖閣は取られるのか?【誤解だらけの沖縄基地・2】 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス

  • 昨年、延べ709隻の中国公船が接続水域を航行、延べ95隻が領海侵入
  • 警備は海保。中国海軍の監視は海自。普天間の部隊は関与していない
  • 専門家「尖閣有事への対処は空・海自衛隊と米空軍の嘉手納基地だ」

 

普天間飛行場が沖縄からなくなると、尖閣が中国に取られてしまう」

 インターネット上などで頻繁に語られる指摘だ。

 防衛省幹部の一人は「海兵隊の撤退は、海洋進出を強める中国に誤ったメッセージを送る。中国が領有権を主張する尖閣諸島が、実効支配されかねない」と同調する。

 

普天間に駐留する海兵隊は、尖閣諸島を防衛する抑止力になっているのだろうか

 中国が、尖閣周辺海域への進出を強めているのは、事実だ。海上保安庁によると、中国の公船は昨年、尖閣周辺で日本の領海に接する接続水域を延べ709隻が航行。日本領海への侵入も、延べ95隻が確認されている。

 国際社会の批判を押し切り南沙諸島で飛行場を建設するなど、中国の「力による現状変更」が表面化し、県内でも石垣市民を中心に危機感が高まっている。

 

では、尖閣を守るのは、誰なのだろうか。

 平時に周辺海域を警備する主体は、第11管区海上保安本部だ。中国海軍の航行が確認されれば、海上自衛隊が監視することもある。また、南西諸島の沿岸警備で、石垣に陸上自衛隊の配備が計画されている。

 海保関係者は「いずれにせよ普天間飛行場の部隊が監視・警戒しているとは、考えづらい」と説明する。

 

 では、仮に中国が尖閣を武力で支配しようとする有事が起きた場合は、どうか。

 「尖閣諸島は極めて小さな島の集まりだ。脅威を除去するために、兵士を上陸させる必要すらないかもしれない

 2014年4月。在日米海兵隊トップのウィスラー司令官(当時)は、米ワシントンの記者会見でこう切り出した。

 「尖閣諸島を占拠されても、奪還するよう命じられれば遂行できる」と強調しつつ、敵の部隊が島に上陸した場合でも、海と空からの攻撃だけで排除できると説明。強襲上陸作戦を実行しなくても、十分な奪還能力を発揮できるとの考えを示した。

 米側が描く尖閣奪還のシナリオに、海兵隊が必ずしも含まれているわけではないことがうかがえる。

 

 軍事ジャーナリストの神浦元彰氏も「近代戦で重要なのは、制空権と制海権尖閣有事への対処は航空・海上自衛隊と、米空軍の嘉手納基地だ」と指摘。尖閣防衛と名護市辺野古の新基地建設を結び付ける議論に、警鐘を鳴らしている。(「沖縄基地」取材班)

 

想像してみたらわかる。

なにせこんなに小さな島だ。

 強襲上陸作戦を行うまでもない、ということだ。

 

 尖閣諸島 に対する画像結果

尖閣諸島の(手前から)南小島、北小島、魚釣島=1日、朝日新聞社機から、山本壮一郎撮影

 

どれだけ小さな「島々」か想像してみてほしい。

1. 魚釣島 3.82 km2

2. 久場島 0.91 km2

3. 大正島 0.06 km2

4. 北小島 0.31 km2

5. 南小島 0.40 km2

6. 沖北岩 0.05 km2

7. 飛瀨 0.01 km2

 

尖閣防衛に辺野古新基地など関係ない !

誤解だらけで沖縄基地 (1) 沖縄はわがままなのか ? - 本土では基地問題に関する理解度が低く、感情論が先行している。

 

沖縄は「基地に対して感情的で、被害者意識が強い」あるいは「沖縄はわがままだ」などと、口々に語られるが、

本当に沖縄はわがままなのか。

 

 

 

沖縄人はどこまでわがままなんだ! - 倫理・人権 解決済 | 教えて!goo

f:id:ospreyfuanclub:20170722160106p:plain

 

まとめニュース速報(・∀・) - 「沖縄が日本であり続けるために」 | Facebook

渡辺 定男 沖縄が大変なのは分からないでもない。だが、敢えて言わせてもらおう。沖縄だけが良ければ他県はどうなってもいいのか?少なくとも先日亡くなった元、沖縄県知事の言動を考えると、そうとしか受け取れなかったね。だからあの当時は橋下徹大阪府知事が米軍に関空を貸そうか?などと言い出したんだと思う。沖縄県知事が余りにも自県のことしか考えてなかったから。旧大戦で被害を被ったのも沖縄県だけじゃない。東京大空襲では、一夜にして数十万人が犠牲になり、広島・長崎には原爆が落とされた。繰り返す。沖縄は過去も現在も大変だと思う。だが、他県民のことも考えてほしい。沖縄から米軍が撤退すればそのしわ寄せが他県に来てもいいのですか?

 

さらには、

ポストコロニアル研究が専門だという南山大学佐々木陽子氏にいたっては、那覇市役所の建物が立派なのは、基地でカネや利益を受け取っているからだという。

 

ささき ようこ - 那覇市役所すごい(ゝω・´) | Facebook

代替のカネや利益を受け取って、不利益を甘受させられることを、「植民地」とはいわない。それでは、植民地主義における強制労働、女子性搾取も含め、それらは、あたかも金品との交換であったかのような歪曲を生む。彼女たちは決してなにかの金品の贈与と交換をしたわけではない。沖縄と福島を植民地と呼ぶことは、植民地の本質を歪曲し、本質を覆い隠してしまう。

 

沖縄や福島は「代価のカネや利益を受け取って、不利益を甘受させられている」ので、被害者ズラするべきではない、といいたいのだ。

 

おいおい、奴隷貿易でも代価のカネや利益はあった。人身売買でも抑圧者は代価を払っていると主張する。そんなヘゲモニー構造の基本もすっ飛ばしてよくポストコロニアル論とか語るよな。そのものコロニアル論ではないか (爆)。

 

こちらもご覧ください ⇩

 

 自動代替テキストはありません。

 

佐々木氏によれば、沖縄は基地を押しつけられたと、今頃になっていっている、と。

 

反基地を主張するなら、日本語を捨て、「元の名前にもどし」、ヤマト資本から独立し、同化をやめて、植民地から解放されることを主張せよというのだ。

 

いや、もうこれ、

どうやったらこういう論調になりますかね。

 

頼氏は

「歴史的に基地負担を抱えてきた沖縄県民と違い、本土では基地問題に関する理解度が低く、感情論が先行している」と指摘する。

 

嘉手納基地 に対する画像結果

 

普天間基地と嘉手納基地の区別もつかないで、あるいは普天間基地辺野古新基地の違いも知らないで、いったい何が語れるというのだろう。

 

まずは学ぶことから。

 

誤解だらけの沖縄基地 (1) - 中国が近海進出 どう対抗するのか?

中国が近海進出 どう対抗するのか?【誤解だらけの沖縄基地・1】 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス

 「こういう視点で沖縄を見たことがありますか?」

防衛省幹部の説明を基に作成した沖縄周辺の地図。一般の地図とは南北が逆で、中国から沖縄諸島がどのように見えるか強調している。
防衛省幹部の説明を基に作成した沖縄周辺の地図。一般の地図とは南北が逆で、中国から沖縄諸島がどのように見えるか強調している。

 東京・市谷の防衛省。幹部はテーブルに1枚の地図を広げ、記者に問い掛けた。一般の地図と南北が逆だ。沖縄諸島と中国南東部、台湾などが記されている。

 「中国から東シナ海は、こう見えます。彼らにとって、太平洋への進出に沖縄本島宮古、石垣のラインがいかに邪魔か。はっきり分かるでしょう」

 幹部は饒舌に語り、付け加えた。「だから、沖縄に基地が必要なんです」

 中国は、南シナ海尖閣諸島周辺などへの海洋進出を活発化させている。沖縄近海も頻繁に航行しており、本島と宮古島の間を通過し、太平洋に抜けるのが主なルートだ。防衛省が把握しているだけで、昨年12月も13日、22日、23日の3回、中国海軍の情報収集艦やフリゲート艦が本島-宮古島間を通過し、太平洋に出た。

 幹部の主張は、こうだ。

 中国軍が太平洋にアクセスする場合、必ず沖縄近海を通過する。沖縄周辺の抑止力が低下すれば、中国が海洋進出の動きを強めるのは必至だ。だから、在沖米軍基地は必要であり、普天間飛行場名護市辺野古に移設せねばならない-。

こうした見方は、一般の国民にも広がっている。

「沖縄に基地がなければ、中国の脅威をどうするんだ」「普天間が沖縄からなくなると中国が攻めてくる」。ネット上には、こんな書き込みがあふれている。

ただ、中国の脅威と普天間飛行場の存在意義は、直接、結び付くのだろうか。

 「中国の艦船や航空機の監視・警戒は、一義的に海上保安庁と海上・航空の両自衛隊の役割だ。在沖米軍でいうと海兵隊普天間飛行場ではなく、主に空軍嘉手納基地の電子偵察機や対潜哨戒機などが任に当たる」

 米軍に詳しい市民団体「リムピース」の頼和太郎編集長はこう話し、在沖海兵隊の役割は限定的との認識を示す。

 「『中国の脅威があるから普天間を沖縄に置け』と言われるが、嘉手納と普天間の違いすら認識せず、基地問題を十把ひとからげに捉える議論ではないか」

なぜ、こうした認識が独り歩きするのか。頼氏は「歴史的に基地負担を抱えてきた沖縄県民と違い、本土では基地問題に関する理解度が低く、感情論が先行している」とみる。

 沖縄側が辺野古新基地建設に反対すると、すべての米軍・自衛隊基地の撤去運動であるかのように誤解され「非現実的だ」と冷笑されることもある。

 しかし、沖縄では嘉手納基地や、空自那覇基地、第11管区海上保安本部など、中国に対処する組織の撤去運動が広がっているわけではない。現時点で県民の大半が求めているのは、

海兵隊の一基地である普天間飛行場の撤去だ。

 頼氏は「本土側は沖縄を知る努力が、沖縄側には問題の発信を続ける努力が求められる」と提起する。

 名護市辺野古の新基地建設阻止をはじめ、沖縄の基地問題が多くの誤解にさらされている。在沖米軍基地をめぐる論点を一つ一つ取り上げ、検証する。(「沖縄基地」取材班)

 

 

この夏、基地問題をまた基礎から考え直していくための投稿を続けていきたい。