レオ・ノワク ~ スーパーマンと沖縄戦

 

アメリカン・コミックスのヒーロー、スーパーマンの創生にかかわったレオ・ノワク (Leo Nowak) 。

 

レオ・ノワクは、ジェリー・シーゲルジョー・シャスター のアシスタントとして働いていたアメリカン・コミックアーティストで、1940 年代初頭のDC コミックスのコミック本で、さまざまな「スーパーマン」の物語と追加の長編「ロボットマン」のイラストを描いた。

Leo Nowak - Lambiek Comiclopedia

 

スーパーマンはビッグ・ブルー・ボーイスカウトとしての評判にもかかわらず、日本人に対して差別的に問題のある過去を持っている。コミックでは彼は日常的に枢軸国と戦っているだけでなく、それは最悪の形で描かれていた。漫画論争の数か月前、アクション・コミックス #58 (1943 年 3 月) の表紙には、スーパーマンが大きな印刷機を動かし、「スーパーマンは語る: 戦時公債と切手でジャップを平手打ちできる!」と書かれたポスターを大量に印刷している様子が描かれていた。それは、文字通り日本兵の顔を平手打ちする手を特徴とし、典型的な人種差別的なアジア人スタイルで描かれた。

Superman and the American Way: 1943 – The Comics Detective

 

ノワクは1943年に徴兵され、米陸軍に入った。

 

海軍建設大隊の記録には彼の作品が記録されていた。隊で彼の名前を知らない者はなかったという。

 

p. 17

 

There is no one in the 145th who does not know well Artist Leo Nowak and his work. Reproduced here a recopies of three of his Okinawa pa intings, two of them village scenes and upper right , the Christian church ruins at Shuri. Nowak, lower right, comes from Cleveland, Ohio, where he was in commercial and fine arts for 17 years, having been a studio partner for 12 years. His post war plans were to follow the art line on the 
west coast. 
In the Seabees Artist Nowak wielded his brush on everything from camouflaging equipment, to painting murals for officers' clubs. In the welfare department he illustrated the battalion newspaper and designed V-mail cards for the men to send home. In his spare time he painted portraits and made sketches of the men. 

海軍建設大隊145th でアーティスト、レオ・ノワクと彼の作品を知らない人はいないでしょう。ここでは、彼の沖縄絵画のうち 3 点の複製をのせています。そのうちの 2 点は村の風景であり、右上は首里キリスト教会の遺跡です。右下のノワクはオハイオ州クリーブランド出身で、そこで17年間商業および美術の分野に携わり、12年間(コミック)スタジオの社員を務めました。彼の戦後の計画は、西海岸で芸術を追求することでした。

シービーズでは、アーティストのノワクが装備品の迷彩から士官クラブの壁画まであらゆるものに筆を振るった。福祉部門では、大隊新聞のイラストを描いたり、隊員が家に送るための Vメールカードをデザインしたりした。暇なときには、彼は肖像画を描いたり、隊員のスケッチを描いたりした。

(p. 101.)

 

ステレオタイプのフィルターを通して - レオ・ノワクが描いた沖縄人。

 

特に赤ん坊の描かれ方は、当時の差別的なアフリカ系アメリカ人のコミックでのステレオタイプ「ピカニニー」(picaninny) とほぼ変わりない。また女性は裸であることを強調し、アーモンドアイとよばれる東洋人の釣りあげた目を強調する。特に右上の絵では服も髪型も沖縄人女性として不正確である。どれも個性よりもステレオタイプな顔の表情を強調し描いている、人間の内面をその表情から読み取ることはできない。つまり、どれも同じ顔である。

 

アメリカの1940年代のカートゥーンはまだこのような状態であった。

 

Ethnic Notions

 

幸せで従順なマミーとアンクル・トムのイメージ、また赤ん坊を意図的に醜く描くことが蔓延していた。アメリカのコミックは戦前の日本にも強い影響力を与えた。

 

ミンストレルショーから子どものコミックに至るまで、黒人は常に魅力的ではないものとして描かれてきました。これらの非現実的なイメージを何度も刷り込みさせることは精神的に破壊的な影響力を持ち、私たちが自分自身をどのように認識するかについての歪んだ概念を導いた。

The Birth Of Black American Stereotypes in Media — 4MP

 

収容所に囲い込まれた女性たちが、米兵の性暴力の標的となるのを避けながら生活と引きかえに米軍基地の軍作業を強いられているとき、兵士たちの目に、アジアの女性たちはどのようにうっていたのだろうか。

 

米兵は沖縄人を "Gooks" (注・まぬけ、のろま、汚らわしいなどの意がある東洋人への蔑称) と呼んだ。米軍はアフリカ系アメリカ人奴隷制に「満足」していると考えたのと同様に、沖縄人が軍占領に「満足」していると考えた。

 

【訳】沖縄本島全体が墓で覆われており、そこには何世紀にもわたって沖縄人が故人の遺灰や遺骨を収めた鮮やかな釉薬の陶器壷を保管していた。ジャップが隠れて最も激しい戦いを続けたのはこれらの墓であり、これらの同じ墓にシービーたちは戦利品を求めて群がった。数人の男性がジャップ狙撃兵によって負傷した後、これらのロマン的なまでに美しい洞窟への巡礼はぴったりとやんだ。

住民、あるいは「グーク」と米軍が呼んでいた者たちはとても友好的であり、アメリカの占領にかなり満足しているようだった。しかし、男性は7歳か70歳か(少年か年寄り)であり 、ご婦人の場合も同様だった。太平洋での31か月の間に、若い女性にちょっとでも似たものを見たことがない。ここでは、被占領国の女性と親密になるなというルールは必要ありませんでした。

… グーク、飛行場、水田、墓を取り除いてみれば、沖縄はコネチカットと同じかもしれませんよ。

《 15th, 1945, p. 45. 》

 

しかし、実際には、こうした強烈な人種的差別と性差別が、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人女性と同じように、沖縄の女性たちを三重の差別構造の底辺に陥れ、性暴力の標的にし続けてきたのである。

 

145th NCB p. 121

 

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