第145海軍建設大隊

 

メモリアルブック p. 75

 

1945年4月3日 - 比謝川

 

比謝矼 (ひじゃばし)

米国陸軍通信隊: This is the 145th "Seabee" water point on the Bishagawa[Hijagawa] River, Okinawa. / 沖縄・比謝川の海軍建設大隊拠点。1945年4月8日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

下の地図では3番周辺。

1943年、陸軍北(読谷山)飛行場の設営が始まり、翌年には飛行場設営部隊や飛行場防衛を任務とする戦闘部隊の配備が相次いだ。トゥトゥンバには天幕が張られ球部隊が駐屯、牛市場下の比謝川沿いには暁部隊が特攻艇を秘匿した。1945年4月1日、米軍は比謝川を挟んで南北から上陸、北側から上陸した米海兵隊はその日のうちに北飛行場を占領した。そして日本本土攻撃用に飛行場を整備し、さらに読谷山村全域に基地を拡大した。住民は村外に設置された住民収容地区への強制退去を余儀なくされ、その後1年半近くを収容地で過ごした。住民待望の村内居住が許可され住民の移動が始まった1946年11月には、比謝矼の家屋は取り壊され、1軒も残っていなかった。当初村内居住は波平、高志保の一部に限られ、比謝矼への居住は認められなかった。1947年に大木、楚辺への移動が許可されると、比謝矼住民の多くは大木に居住したという。一部住民が比謝矼に移り住み始めた1951年頃には、比謝橋周辺は大きく変貌し、軍道西側のわずかな空間で居住地を確保したという。

読谷村読谷村の字ガイドマップ」

 

 

 

1945年7月 - 津波