米軍はなぜ同じ事故を繰り返すのか・米軍と人種差別と爆発事故 ~ 伊江島 LCT 爆発事故の4年前におこっていたポートシカゴ海軍弾薬庫爆発事故

 

今年話題になったニュース。

現在、仕事に追われているので、忘れないよう簡単な覚書だけを記しておく。

 

サンフランシスコと伊江島

今年の夏、アメリカで話題になったニュース、一枚の写真に目が釘付けとなった。

実際、伊江島弾薬庫爆発事故の写真かと思うほどだった、・・・

Navy exonerates 256 Black sailors unjustly punished after deadly 1944 explosion

 

今年、アメリカの主要メディアが相次いで報じた1944年、ポートシカゴ海軍弾薬基地の爆発事故についてのニュース。

 

米海軍が、1944年のサンフランシスコ湾での弾薬庫爆発事故から80年目にしてやっと、事故後に軍事法廷で不当に処罰されたアフリカ系アメリカ人の水兵256人を無罪としたというものである。320人の水兵と民間人が死亡し、そのうち約75%の犠牲者が黒人だった。犠牲者も黒人であれば、理不尽にも有罪とされたのも黒人である。

 

 

 

この波止場の爆発事故でフラッシュバックするのは、1948年夏の伊江島の米軍弾薬輸送船 LCT 爆発事故。

1948年8月6日伊江島住民の強制収容が前年にやっと解除され帰島したばかりの住民をおそった「戦後」沖縄最大級の爆発事故。死者107名、負傷者70人、犠牲者107人のうち94人が沖縄人であった。ポートシカゴ海軍弾薬庫爆発事故のちょうど4年後のことである。

1948年8月6日 『伊江島米軍弾薬輸送船LCT 爆発事故』 - ~その時、沖縄は~

 

なぜ米軍は沖縄で同じ事故を何度も何度も繰り返すのか。

そこにどんな米軍の「構造」があるのか。

 

それを紐解く鍵として、今回、米軍の弾薬輸送中の事故であるポートシカゴ弾薬庫爆発事故と伊江島 LCT 爆発事故を比較検証してみたい。

 

1944年7月17日、ポートシカゴ弾薬庫爆発事故

ポートシカゴは、1945年、一中通信隊の安里祥徳や神谷依信ら十代半ばで日本軍に召集された学徒兵らが収容されたサンフランシスコのエンジェル島からさらに奥に位置する海軍の弾薬基地。現在、基地内に記念プレートがある。

【訳】ポートシカゴ海軍弾薬庫国立記念碑

1944年7月17日午後10時18分、歴史上最も強力な核ではない人災事故の1 つが、貨物船 2 隻を破壊し、320名の死亡者と数百名の負傷者をだした。それは第二次世界大戦中最悪の本土被害です。爆発の原因は不明。
地震計は6秒間隔で2回の爆発を記録した。目撃者らは、最初の爆発鉄道車両の間の波止場だと主張した。 4,600トンの弾薬を積んだリバティシップの SS E.A.ブライアンは2度目の爆発で沈没した。この爆発により、桟橋の反対側に停泊していた空のSSクイノールト・ヴィクトリー号も破壊された。砕けた船体は500フィート以上離れたところに落下した(写真参照)。爆発により、水順湾(地図の内側の赤いラインを参照)全体に瓦礫が飛び散り、近くの町や都市(外側の環)の構造物に損傷を与え、リヒタースケールで3.4を記録した。
この災害は爆発物を扱うための安全手順の見直しを促し、海軍に人種隔離政策の再考を促すことになった。長引く論争の後、海軍は1968年に広い領土を占有し、隣接する町ポートシカゴを閉鎖した。

 

1944年当時、サンフランシスコ湾は対日本戦線の出撃拠点であった。

【訳】この桟橋は第二次世界大戦中、太平洋軍にとって重要な弾薬補給地であり、船への弾薬の積み込み作業は主に白人将校の監督の下、黒人の下士官兵に任されていた。

Navy exonerates 256 Black sailors unjustly punished after deadly 1944 explosion | VOA

 

フル稼働の大量の弾薬輸送と、人種差別、具体的には米軍内の人種隔離政策がそこにあった。

【訳】ポートシカゴでは、戦闘任務のために訓練されていた黒人水兵が、白人士官の監督下で船に弾薬を積み込む作業に追いやられた *1  。スピードと効率が重視され、士官は安全性をほとんど考慮せずに、積み込み作業員のチーム間で「競争」を行った。黒人水兵も士官も危険な作業のために十分な訓練を受けていなかった。多くの積み込み作業員は、600 ポンドの爆弾や、起爆装置付きの非常に揮発性の高い焼夷弾などの弾薬を扱うための手袋さえ与えられなかったと報告した。そのため、港湾労働組合が大惨事が差し迫って予期されると警告する一方、訓練はほとんど行われなかった。

 

7月17日、その警告は現実となり、ほとんど想像もできない結果を招いた。原因は正確にはわからないが、一連の大爆発が起こり、その時点で史上最大の人為的爆発となり、TNT 火薬 5,000 トンの威力があった。瞬時に320人が死亡し、そのうち 3 分の 2 がアフリカ系アメリカ人だった。さらに数百人が負傷した。積荷を積んでいた船はほぼ全滅し、機関車は蒸発した。爆発の威力は 20 マイル離れたサンフランシスコでも感じられた。

 

その後、白人士官には慰労休暇が与えられ、黒人生存者は、死んだ同僚の遺体を含む壊滅した基地の清掃を命じられた。その後、サクラメント川対岸のヴァレーホにあるメア・アイランド弾薬庫で積み込み作業を再開するよう命じられた。

The Port Chicago 50 at 76: Time for Exoneration by Thurgood Marshall, Jr. and John A. Lawrence | The National WWII Museum | National WWII Museum

 

白人士官は事故の責任を問われることなく休暇が与えられ、黒人兵は、現場の事故処理と、更なる弾薬運搬を命じられる。状況が全く改善されない状況に、 256人の黒人兵が「任務に戻る前に、爆弾をより安全に取り扱う訓練が必要」*2と主張し、軍の命令を拒絶するが、「反逆罪」を主張され、最後まで残った「ポート シカゴの50人」が、軍事法廷で有罪判決を受け刑務所に送られた。彼らは、不名誉除隊、15年間の重労働による禁固刑、E-1への降格、および給与全額没収の判決を受けた *3 。これは、「反逆罪」の名のもとに他の黒人兵が規定違反の危険な軍の任務から離脱しないよう命令に屈服させるためのあからさまな恫喝であった。

 

この事件は、米軍内の規定違反とあからさまな人種差別の例として、過去何度か見直しを求められたが、1994年、当時の国防長官ウィリアム・ペリーは「たとえ命の危険を伴う命令であっても、水兵は上官の命令に従う義務がある」と述べた。

 

それから80年後の2024年7月17日、海軍長官カルロス・デル・トロがこれらの黒人水兵256人を無罪と宣言した。それが今回の報道であった。

ちなみに「ポートシカゴの50人」は既に全員が亡くなっている。

 

80年後の無罪宣告。

いったい、どれだけ時間をかけるのか。

しかも、無罪宣告であり、謝罪ではない。

 

1948年8月6日、伊江島LCT爆発事故

当時、史上最大級といわれたポートシカゴ爆発事故から、4年目。

米軍が「戦後」も軍事占領を続ける伊江島で、またも同じような事故をおこす。

 

 

ポートシカゴの大事故から学ぶどころか、人種差別という二重基準の真空地帯で、弾薬を扱う訓練もさせず、規定外の危険業務をマイノリティーに押しつけ、命令に反すれば反逆罪として牢獄行き、そんな状況を成立させているのだ。

 

さらには、沖縄島が米軍にとっての「極東軍の塵捨場」であれば、米軍は伊江島をその「最終処分場」という重層的なリンボー (辺獄) に落とし込んでいた。

戦後、ようやく島に戻った人々が見たのは、そこらじゅうに野積みされた砲弾の山。生まれ島は、「爆弾の島」になっていました。

Qリポート 爆発事故から61年 港で何が起こったのか – QAB NEWS Headline

 

結局、山積みされた弾薬が荷崩れ、大爆発を引き起こした伊江島の大惨事で、犠牲となったのは、フィリピン人兵士と黒人兵、そして圧倒的に地元の住民であった。

死者107人のうち県民は94人 (米軍記録)

「白人は見たことなかった。黒人ばかり」

犠牲になった軍関係者はフィリピン人と黒人だけ。危険な任務を彼らに押し付けていたばかりか伊江島の住民にも、無報酬で手伝わせていた実態も明らかになりました。

Qリポート 爆発事故から61年 港で何が起こったのか – QAB NEWS Headline

 

米軍記録では、荷崩れだけではなく、弾薬の上での喫煙なども記録されている。フィリピン人、アフリカ系、沖縄住民・・・、なんらの情報も訓練も与えられず危険な弾薬を山積みさせられる、ポートシカゴの再現がここにあった。

 

夕刻で混雑する桟橋。住む土地や家屋、生活すべてを奪われ、二年間も強制収容させられたうえ、食糧を与えられているからと無償の軍作業にでかけ、事故にまきこまれた住民もいた。

 

軍は、こうして沖縄と沖縄の島々を、人種差別の二重基準 (ダブルスタンダード) どころか、三重四重の差別構造で占領し利用する。

 

ポートシカゴはアメリカ社会で問題となり、その後、この事件が、軍隊内の「爆発物取扱いのための安全手順の徹底的見直しや人種隔離政策の再考などを促した」というが、どうやら米軍占領下の「植民地」沖縄では、「爆発物取扱いの安全手順」も「人種隔離政策」もまったく見直されることなく、大きな社会問題になることもなかった。

 

なぜならば、

圧倒的な犠牲者は沖縄人だからである。

 

差別を利用し駐留する米軍基地のありかた

差別を利用した軍の占領の在り方

その構造は、沖縄の施政権が日本に移行した今も変わっていない。

 

米軍は日本の沖縄差別を利用して、

飲む水から、子どもや女性たちの安全な暮らしに至るまで、

沖縄が声を上げれば、まず日本政府がそれを踏みつけ、沖縄を「見えない存在」にさせて植民地化する。

 

日中だろうが、夜間だろうが、捜査も法も規定もなにもない差別の真空地帯がつくられ、そこで犠牲になるのは住民である。

 

アメリカ本土や日本の本土ではありえないことが、日々、この沖縄で繰り返されるのは、そこに秘匿された醜悪なレイシズムが存在するからである。

 

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*1:その当時のアメリカの人種隔離政策は米軍内でも人種隔離部隊として反映され、黒人はそのほとんどが非戦闘 (non-combat) 要因として使役された。ここでの表現「戦闘任務のために訓練されていた」は彼らが優秀な成績で訓練を受けた黒人兵であったにもかかわらず、港湾労働者と同等な弾薬運搬業務にまわされているということが示されている。米軍内での人種隔離政策については以下の記事を。

*2:VOA

*3: NAACPの顧問弁護士サーグッド・マーシャル (後に米国初のアフリカ系アメリカ人最高裁判事となる) と大統領夫人エレノア・ルーズベルトによる上訴は失敗に終わった。National WWII Museum また、1990年代の恩赦の試みも拒絶された。VOA