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嘘と背信の連続、沖縄サミットを辺野古移設に利用した日米の両政府 - 岡本行夫の新証言、政府は沖縄県側の移設条件を米国側に伝えてすらいなかった

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報道の日2018|TBSテレビ


機密文書が語る20年後の真実

沖縄サミットが辺野古移設に利用された !?

 

そして一瞬

スタジオが騒然とする。

 

岡本行夫「ですから、あの案は、結局はアメリカには伝えられてないはずですよ。」

 

「そうなんですか」

「えっ、そうなんですか」

 

当時の総理大臣補佐官 (沖縄担当) で、あの「辺野古に生物はいない」大ウソ外交の岡本行夫が、

 

ospreyfuanclub.hatenadiary.jp

 

驚くべき証言をした。

 

1999年、稲嶺惠一知事 (自民推薦) が出した苦渋の辺野古移設条件、➊ 基地としての使用期限を15年とすること、➋ 軍民共用の空港とすること、それを、実は日本政府はアメリカ側に伝えてすらいなかったということだ。

 

そして、2006年、沖縄県が出した移設条件は、小泉総理の元で完全に破棄されたまま、移設話だけがすすめられる。

 

ここで留意しておきたいのは、1999年以前の時点では、撤去を前提にした ➌ メガフロート案だった。埋め立てではないし V 字型でもない。

 

 

そして

それから20年。

 

基地負担に苦しむ沖縄を

いかに日本政府が小手先の、沖縄を小ばかにしたような嘘と裏切りを繰り返し翻弄し、

 

騙し騙し、いかに巨大な辺野古新基地建設にすり替えてきたのか、

 

その卑劣なやり方を、

皆さんご自身の目でご確認ください。

 

報道の日2018|TBSテレビ

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平成のアメリカと日本、機密文書が語る沖縄サミット

該当箇所に時間合わせしてあります。(開始時間 2:48:38~)

youtu.be 

 

< 文字おこし >

 

平成12年2000年。

沖縄サミット。

 

youtu.be

 

安室奈美恵さんが世界の首脳の前で歌って話題となりました。グローバル化する世界の問題点と可能性を話し合う会合でした。

 

しかしその沖縄サミット開催を巡って、アメリカはある要求を日本に突きつけてきたのです。

 

1998年、九州はサミットの誘致に盛り上がっていました。二年後に開催されるサミットは初めての地方開催、八つの候補地が名乗りを上げていたのです。その一つが沖縄県

 

(県民の声) 「イベントはたくさん誘致したほうがいいですね。」「来てほしいですね」

 

沖縄での開催を強く押したのが小渕総理でした。そこには沖縄経済の底上げと沖縄の自然を世界にアピールする狙いがあったのです。

 

けれど、沖縄の反米感情を理由にアメリカが難色。開催地の発表日になってもアメリカの態度は変わりませんでした。

 

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野中広務官房長官「本日ここに発表するに至りませんでしたことをお断りを申し上げる次第であります。」

 

政府はやむなく発表を1日延期します。駐日アメリカ大使を通じ、藁をもつかむ思いでクリントン大統領に直接判断を仰ぐことにしました。徹夜で吉報を待った小渕総理のもとに、明け方、駐日大使から連絡が入ります。

 

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トーマス・フォーリー駐日大使「クリントン大統領に異論はありません。」

 

そして、1999年4月。沖縄サミットの開催が発表されました。

 

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沖縄県民は歓喜します。

しかし、この時、アメリカにはひそかな思惑があったのです。その事実をかたる一通の機密文書があります。文書はサミットの沖縄開催が決まった直後、アメリ国務省からクリントン大統領に贈られたものでした。そこには驚くべき文言が。

 

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「サミットは沖縄の基地問題、特に普天間飛行場の移設を前進させる機会となる。小渕氏に対して今後数ヶ月が正念場だと明確に言うべきだ。」

 

アメリカはサミットの沖縄開催をきっかけに普天間問題を決着させようとしていました。機密文書を入手した琉球大学講師の山本章子さんは、沖縄サミットが移設先の決定に利用されたと指摘します。

 

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「まさに、この文章に書いてある通りに物事が進展しています。クリントン大統領がサミットを利用して、火急速やかに普天間飛行場の移転を進めろと。」

 

沖縄サミットと普天間基地の移設問題。沖縄の今を読み解く一つの鍵がここにあります。

 

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沖縄サミットが決まった2ヶ月後、クリントン大統領は沖縄サミットへの出席と引き換えに普天間問題の解決を迫ったのです。

 

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クリントン大統領「基地問題が未解決なままで沖縄に行きたくない」

 

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クリントン大統領「懸案が解決されたうえで沖縄訪問ができれば」

 

普天間問題の発端は、1995年に起きた事件でした。アメリカ軍基地の兵士3人が小学生の女子児童を暴行。県民の怒りは爆発し、基地反対のうねりが高まります。

 

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「平和な島を返してください。」

 

翌年、日米両政府は次のような合意を発表しました。

 

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橋本龍太郎首相「普天間飛行場は全面返還されることになります。」(1996)

 

ところが全面返還の実情は県内移設でした。

5年から7年以内に沖縄の東海岸に新たな基地を作るというものだったのです。日本政府が目をつけた最有力の移設先は、名護市辺野古普天間の部隊を呼べばキャンプシュワブの海兵隊にも近くなりアメリカにも好都合でした。

 

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これに対し名護市は環境破壊などを理由に猛反発。移設は解決できないまま3年が過ぎていきました。業を煮やしたアメリカは、沖縄サミットをいわば人質に普天間問題の解決をはかったのです。

 

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沖縄サミットの成功はクリントン大統領の出席があってこそ。日本政府は準備期間を考慮し1999年内の決着を目指します。残された時間はわずか6ヶ月でした。なんとか辺野古で。政府は躍起になって沖縄県を説得します。

 

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沖縄県は、➊ 基地としての使用期限を15年とすること、➋ 空港軍民共用とすること、この二つの条件を突きつけます。基地の定着を防ぎ基地の変換後には民間空港として利用しようという狙いでした。

 

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政府と渡り合った当時の県知事稲嶺恵一氏。「県としての問題はむしろ軍民共用の方をはっきり政府が認めるなら、それから使用期限それを認めないかぎり私の方はうんといいませんから。」

 

クリントン大統領を沖縄サミットに招きたい。日本政府はアメリカと話し合うことを沖縄県に約束します。事態は動きました。

 

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普天間飛行場の移設候補地を名護市辺野古沿岸域に決定いたしました。」この発表をうけ、名護市でも。

 

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「私はこの度の普天間飛行場の代替施設の経営についてこれを容認することを表明いたします。」

 

こうして普天間基地の移設先は年内ぎりぎりで辺野古に決まりました。

 

ところが…。

 

脳梗塞で倒れた小渕総理がそのまま帰らぬ人となったのです。

 

脳梗塞で帰らぬ人となった小渕総理。基地移設の条件をめぐるアメリカとの協議は後任に託されることになりました。

  

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小渕総理から森総理へ、2000年7月沖縄サミットの幕が上がります。森総理とクリントン大統領の間で移設条件が話し合われ、誰もが期待を寄せました。ところがその協議は先送りされたのです。同時から名護市議を勤めている大城敬人氏は怒りを隠せません。

 

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「日米でそういうこと (沖縄が求める条件) について表だって話をしないということ自体、やっぱり沖縄県民を無視した、という強い怒りがあったんですよ。」

 

そして、沖縄が求める条件はあっけない結末を迎えることになります。

 

森総理から小泉総理へ。

 

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2006年小泉総理の元で在日アメリカ軍の再編を受けた新しい移設案が閣議決定されました。その瞬間、沖縄の求める二つの条件は一方的に破棄されたのです。

 

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当時、防衛事務次官として交渉に当たっていた守屋武昌氏、その条件は日米両政府にとって始めから実現できないものだったと言います。

 

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元防衛事務次官守屋武昌氏「15年の使用期限を認めるなんていうようなことはね、断じてありません。それはできないんですよ。国と国との約束で。国際情勢が15年後に安定的なものになるなんての保証は推測できませんからね。」

 

サミット成功のかげで基地移設を受け入れた受け入れた沖縄は結局裏切られたのです。

普天間問題は今も迷走を続けています。

 

< 場面はパネルの面々に >

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関口宏「ここは、岡本さんも中林さんももちろんよくご存知のところでしょう。」

 

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岡本行夫「あれはね、まあ、あの守屋さんも言ってたけど、もう、➊ 15年移設っていうのは、まあ、ありえないんですよね、だいたい五十年ぐらいの建造対応期間もあるものを15年で壊す、しかも6000億円もかけて、なんだそれ、財政当局だって認めるはずもないし、それから15年後には必ずもう撤退させますよということは、要するにもう周辺の脅威に対して、アメリカはもういなくなるというシグナルを、もう最初から与えるということでしすしね。➋ それからもう一つ軍民共用っていうのは色々あの民間航空会社とやってみたんですよ、でもどこもただ一つとして名護空港あそこに辺野古に飛行場を作ったら我々飛行機飛ばしますというところはないんですね。

ですから、あの案は、結局はアメリカには伝えられてないはずですよ。

 

(スタジオが騒然)

「そうなんですか」

「えっ、そうなんですか」

 

岡本行夫「ですから、そういうことを言うこと自体、日本政府、なに考えてんのか。ま、だから、沖縄の民意、分かるし、気持ちは分かるし、稲嶺さんのこともよく分かりますけども、ですからそれは最初からもうちょっと無理な案でしたね。ま、それにしても、あの、VTR よく取材されていて、私も国務省の文章ってのは、知りませんでしたけども。それはクリントン大統領としてはね、もう早く片付けてくれということだったでしょう。」

 

関口宏「ね、あれ、だからアメリカが沖縄でサミットやることを認めたことによって、アメリカの沖縄基地ってのは世界に認められたみたいなものなんですかね。」

 

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「ま、認められた云々という以上に、やっぱりあの、アメリカがそれほど沖縄の民意といったものを気にかけていたということは、あると思うんです。無視しているならば、必ずしも大統領は行く条件にそんなことを言わなくてもいいわけじゃないですか。だけどやっぱり日米安全保障をキープするためにはやはり、沖縄の県民の民意をやっぱりアメリカも受け止めなきゃいけないと、ということはやはり普天間の移設っていうのは必要だと。ただどこにいっていうことは、やはりこれ日米の間で話し合わなきゃいけないってことなんですけど、ペリー元国防長官が必ずしも普天間でなくても良かったと、沖縄県民の気持ちがちゃんとね、くめるようであればいいんだってことは、後々発言してたこともあったんですよね。それを聞きになりましたか、岡本さん」

 

news.goo.ne.jp 

 

岡本行夫「いや、そうですか、それは・・・」

 

中林美恵子「そういう話もあってただ調べた結果ほかにいいところがないってのは政府同士のやはり見解なんですよね」

 

関口宏「僕はいつもこの問題に触るときに、アメリカももっと説明してくださいと、沖縄の人たちに直接どうして説明してくれないのかと。国を挟み県を挟むから沖縄人たちは理解できないんだよね。」

 

中林美恵子「それもありますよね、ただ日本の国内の政治に外国として干渉するってことはできないという立場なんじゃないでしょうかね」

 

岡本行夫「僕も参議院予算委員会で2回参考人の意見陳述をやりまして、今の工事の進め方はやるべきでないと、数年前に言ったですね。あれ何か別の方法が必ずあるはずだと、その時には他にもやり方あったわけですが、もうここまで来ちゃうと段々段々難しくなってきましたね。」

 

関口宏「なりましたね、複雑化してきました。」

 

岡本行夫氏自身が、アメリカ側に「辺野古の海には生物がいない」などさんざん嘘をついて辺野古移設を推進してきたにもかかわらず、

 

工事を強行している今となっては、「他にもやり方あったわけですが、もうここまで来ちゃうと段々段々難しくなってきましたね。」などと語る。

 

 

いわば、「自発的対米従属」である辺野古推進のロビー活動アメリカでやっていた、この人物が、いまでは大学教授の肩書でコメンテーターとして活躍し、辺野古について「自分は他の案を提案していた」と、ぬけぬけと語る、そんな他人事のようなコメントをきくたびに、

 

嘘の外交を堂々と告白する岡本行夫

・・・実はこれこそが外務省のやってきた外交なのである。国民のためではなく、日米同盟関係の維持を最優先する外交に終始し、そのために情報操作を行う、その意味で岡本氏は外務省を離れてもなお外務官僚を超えることが出来ないでいるのだ。こころざしが感じられないは当然である。

http://天木直人.com/2008/03/21/post-0/

 

この岡本行夫という人物の、仮面のようなポーカーフェイスを穴のあくほど見つめることになる。

 

国民のためではなく、

日米軍事同盟を最優先する外交に終始し、

 

そのために国民を騙しつづける。

 

日米軍事同盟強化と

集団的自衛権

 

その先に何が待っているのか、

いうまでもないだろう。