わかりやすい沖縄基地問題

もっと知っておきたい沖縄のこと

【 FAC6071 知念補給地区 】キャンプ知念

 

知念半島にあった米軍基地。 

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1945年6月5日、米軍が知念半島に到達。米海軍司令部がおかれ、知念地区民間人収容所 (百名収容所) が設置される。米海軍司令部がおかれ、馬天港のバックナービルから一帯が軍事拠点化され、それに伴い知念地区に収容された民間人が東北部の瀬高収容所などに強制移住させられ民間人の犠牲者が増える。

 

1946年、琉球列島米国軍政府 (米国軍政府) が、具志川村野比 (現うるま市) から移転し、それに伴い沖縄民政府石川市東恩納から親慶原高台の新里通信所に移転。「知念市」は米軍統治政治の中心地となった。

 

1948年、米海軍から米陸軍の管轄に移され、モータープール、倉庫、住宅等用地、四軍共用のレジャー施設として使用。


1949年7月25日、グロリア台風で大打撃を受けたため、米国軍政府は12月に那覇市久米の旧上山国民学校に移転し、軍政府長官シーツ少将によって那覇市を沖縄の首都とするよう発表された。

 

1951年、朝鮮戦争のさなか、陸軍混成サービス群地区 (CGS) が結成され、米陸軍基地のなかに極秘の CIA 拠点が作られる。


1971年6月13日、いわゆるペンタゴン・ペーパーズとして知られる一連のニューヨーク・タイムズのスクープによって、キャンプ知念が米陸軍基地というのは表向きで、実際には陸軍基地を隠れ蓑にしたアジア最大級の極東戦略の CIA(アメリカ中央情報局)拠点であることが判明、大きな政治問題となり閉鎖されることになった。1961年のエドワード・ランズデール将軍からマクスウェル・テイラー将軍に送られた極秘のメモには、知念補給地区の沖縄CIA支援基地は、準軍事的な訓練、研究、物流施設に加え、秘密収容施設を含んでいたことが書かれていた。1971年9月28日に沖縄タイムスが報じたキャンプ知念の記事を、さらに読谷の米軍基地にある FBIS が「沖縄タイムスが沖縄のCIA基地を暴露」と英訳し本国に送信している。


1972年7月31日、CIA基地 (CGS) が閉鎖され、アメリカ陸軍特殊部隊 (グリーンベレー) の訓練センター、語学学校などになった。

 

1974年、沖縄に接収地が全面返還される。

 

2011年6月13日、ニューヨーク・タイムズのスクープからちょうど40年後「ペンタゴン・ペーパーズ」の機密指定が解除され、国立公文書記録管理局などが全文を公式ウェブサイトで公開、全7,000ページのうち、これまで明らかになっていなかった2,384ページも閲覧できるようになった。


2013年、知念補給地区の内部に外国人捕虜などを拘禁する秘密収容施設があったことなどが沖縄タイムスの取材でより明らかになった。証言によると、知念補給地区では軍人の姿はほぼ見られず、職員はワシントンのCIAから約3年交代で赴任していたこと、沖縄の別の米軍基地から出入りする米軍関係者はおらず、琉球列島米国民政府 (USCAR) の最高責任者である高等弁務官ですら訪問時には所定の手続きが必要だったという。


2017年、沖縄タイムスはこれまでほとんど知られることがなかったキャンプ知念について関係者に取材したロバート・ジャクソン回顧録を連載した。

知念補給地区 - Wikipedia

 

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Camp Chinen, Then and Now | Okinawa Soba (Rob) | Flickr

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Camp Chinen CIA BASE in 1970 -- Family Side and Business S… | Flickr

 


 

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Camp Chinen was called Okinawa Station by the CIA. Its official name was the First Composite Service Unit, later the Composite Service Group. It was a paramilitary support asset and, in critical situations could be devoted in its entirety to Unconventional Warfare activity. Located at Camp Chinen, it comprises a self-contained base under Army cover with facilities of all types necessary to the storage, testing, packaging, procurement, and delivery of supplies, ranging from weapons and explosives to medical and clothing. Because of it being a controlled area, it could be used as a prison as well as a training school for small groups. At Camp Chinen, there were three safe houses where, on occasion, foreign nationals could be housed and receive specialized training. All the gear packaged and delivered to the field via Camp Chinen was ‘sanitized’ so that that its provenance could not be traced to the American government. Camp Chinen took on the responsibility of supplying the highly secret Studies and Observation Group (SOG) with sanitized clothing and gear, undetectable wiretapping devices, and untraceable weapons such as Swedish K machine guns, CAR-15s, and High Standard HD suppressed pistols. Upon its closure as a CIA station in July 1972, Camp Chinen served as a US Army Special Forces training center and as a language school for U.S. soldiers studying Japanese and Korean, and for Japanese forces studying English. By 1974, however, the wars in Vietnam and Laos were ending, so the US Army left Camp Chinen. Camp Chinen closed in 1975.

キャンプ知念はCIAによって沖縄ステーションと呼ばれていました。その正式名称は、第一複合サービスユニット、後に複合サービスグル​​ープでした。それは準軍事的支援資産であり、危機的な状況では、その全体を非正規戦争活動に捧げることができました。キャンプチネンに位置し、軍のカバーの下にある自給式の基地で構成され、武器や爆発物から医療や衣類に至るまで、物資の保管、テスト、梱包、調達、配送に必要なすべてのタイプの施設があります。管理区域であるため、刑務所としてだけでなく、小グループの訓練学校としても使用できます。キャンプ知念には3つの安全な家があり、時には外国人を収容して専門的な訓練を受けることができました。キャンプ・チネンを経由して梱包され、現場に配達されたすべてのギアは、その出所をアメリカ政府にたどることができないように「消毒」されました。Camp Chinenは、非常に秘密の研究観察グループ(SOG)に、消毒済みの衣類と装備、検出できない盗聴装置、スウェーデンのK機関銃、CAR-15、高水準HD抑制ピストルなどの追跡不可能な武器を提供する責任を負いました。1972年7月にCIA局として閉鎖されると、キャンプチネンは米軍特殊部隊の訓練センターとして、また日本語と韓国語を学ぶ米軍兵士と英語を学ぶ日本軍のための語学学校としての役割を果たしました。しかし、1974年までにベトナムラオスでの戦争が終結したため、米軍はキャンプチネンを去りました。キャンプ知念は1975年に閉鎖されました。

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