キャンプ桑江、あるいはキャンプ・レスターともよばれる。
キャンプ桑江は、一連のべ軍基地が並んだ北谷の平坦地にあり、海軍、海兵隊、空軍の兵舎と、アジアにおける最大規模の米海軍病院があった。
移設計画が進み、既に空き家となったキャンプ桑江の海軍病院。
戦後、米軍に接収された広大な敷地に、太平洋地域全体の駐留軍人や軍属とその家族のための病院として1958年に竣工した。当初は「陸軍病院」だったが、1976年に陸軍から海軍に移管され「海軍病院」となった。設計はアメリカの有名な設計事務所 S・O・M社(Skidmore,Owings & Merrill)、設計監理はDE(米軍工兵隊)、施工は地元の國場組だった。
建物は厳格な米軍仕様に基づき、主にアメリカ製の建築資材を使って建設された。5階建て、延べ床面積2万2400平方メートルのこの建物は、当時の琉球政府行政ビルの4・6倍の広さがあり沖縄では最大で、しかもアメリカの最先端医療や医療設備においては東洋一を誇る病院だった。また、基地内建物がどれも味気ないデザインのものが多い中で、この建物は当時のアメリカ現代建築をほうふつとさせる機能美のデザインでピカイチであった。そのスマートなデザインのため、米軍はこの建物を「HONEY(彼女)」という愛称で呼んでいたそうだ。60数年たった今でも老朽化もせず、美しい姿を保っている。
1945年 - 沖縄戦
嘉手納飛行場の南側に隣接する地域のため、米軍に占領され、いったんは臨時の桑江民間人収容所が設置されるが、住民はその後、転々と収容所を移送され、戦後も収容された土地に戻ることはできなかった。
2003年 - 北側の返還
2003年3月31日、北側の緑の部分が返還される
南側 - 返還という名の正体
2013年4月5日、安倍政権は日本語名「嘉手納以南の基地返還計画」を発表するが、その(本当の) 日米合意は「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」(英語: Consolidation Plan for Facilities and Areas in Okinawa)であり、その名の通り、それは移転と移設で米軍の統合強化 (consolidation) をはかるものだった。
キャンプ桑江の返還については
Consolidation Plan for Facilities and Areas in Okinawa, April 2013. PDF
- 区域: 約68ha (南側の全返還)
- 返還条件:
- 米海軍病院及び中学校を瑞慶覧に新設提供。
- 沖縄住宅統合 (OHC) で 米軍家族住宅(375戸)をキャンプ瑞慶覧へ新築提供。
- その他、既に建設予定の56戸に加え、米軍家族住宅約910戸の新築提供。
米軍喜び、本土のゼネコンうはうは。
戦争で占領された地所を返してもらうだけなのに、
よくかんがえてみると、すごい交換条件である。
これではまた米軍の移設太りになりそうです。
しかも、ヤバいものがいろいろ出てきますが、それらの除去も除去費用も日本任せ。
同防衛局によると、除去費は、1995年の法施行(当時は返還特措法)後に全面・一部返還された23か所で計154億7800万円。資料保存年限が過ぎて詳細不明の返還地もあり、さらに多いとみられる。
内訳は、2015年返還のキャンプ
瑞慶覧 の西普天間住宅地区(約51ヘクタール、宜野湾市)が79億8100万円、03年返還のキャンプ桑江の一部(約38ヘクタール、北谷 町)が17億3200万円など。瑞慶覧では280トン以上の廃棄物、約5500発の不発弾を処分し、桑江では鉛やヒ素の汚染土壌を処理した。除去費が多額だった9か所では、引き渡しに約1年~3年8か月かかった。
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