キャンプ瑞慶覧「施設技術部地区」~ 北谷城の返還

復帰前の沖縄島は実に27.2%が米軍基地として占有されていた。米軍は、沖縄島の広大な土地を占有しているだけではない。また同時に、ほとんど利用されていない地所ですら、握ったまま返還しようとしないことで悪名高い。

 

キャンプ瑞慶覧の北谷城址

例えば、米軍基地がひしめき合う北谷では、町が基地で完全に分断されており、キャンプ瑞慶覧 (Camp Foster) とキャンプ桑江 (Camp Lester) のあいだの隣接地域はわずか1ブロックしかない。そのすぐ南側は「キャンプ瑞慶覧」の北端、施設技術部地区の一部だが、その「施設技術部地区」10ha の 6分の1、すなわち6haは、13世紀後半から16世紀前半にかけて栄えた北谷城と周辺の拝所 (聖地) が占めている。建物部分はごく一部であることが、写真からもよくわかるだろう。

 

 

この建物は MCCS (marine corps community services) で海兵隊の厚生施設の一つ。だからどこに移転しようと差しさわりがない。しかし、米軍は 2020年になってやっと北谷城 (グスク) を返還。

 

なぜ、10ヘクタールの地所を返還するのに75年かかるのか。しかも首里城跡、今帰仁城跡、などに次ぐ規模の沖縄の歴史遺産「北谷グスク」だ。

 

米軍が広報として公開している米海兵隊の北谷城ツアー動画をのぞいてみよう。

 

これは、北谷城の地所、キャンプ瑞慶覧「施設技術部地区」が返還されることになった後の、2021年5月14日に公開されたものである*1

 

youtu.be

Paul French: I'm one of the cultural resource managers here at MCBC Butler. So today here at the site we did a walk through of the Chatan Castle ruins. It's a well-known cultural resource that we had been protecting within my office. It was about an hour or so tour that went through some of the above ground features, such as castle walls. Also we saw some religious sites, sacred sites for the local okinawans.

私は海兵隊キャンプ・バトラー (在沖縄海兵隊基地) の文化財管理官の一人です。というわけで、今日は北谷城跡を散策してきました。海兵隊の事務所内でずっと保護してきた有名な文化財です。城壁などの地上の遺跡などを通過するのに約1時間ほどかかるツアーでした。また、いくつかの宗教的な遺跡、地元の沖縄の人たちの聖地も見ました。

 

軍事的植民地主義 - 歴史の占領

北谷グスクは、沖縄島でも有数の規模と歴史を誇る城址でありながら、この75年間、返還もせず、史跡調査もろくにさせず、もちろん、海兵隊基地の内にあるので、訪れることもできなかった。そんな北谷グスクを海兵隊が事務所内でずっと保護してあげてきた、ということはどういうことだろうか。北谷城を基地のフェンスの中に囲い込み、北谷城址の「一の郭」付近に山頂を切り開いてタンク (おそらくはランドリー工場のための給水タンク?) を設置し、その下に軍のランドリー工場や射撃場を建設したりした以外に、一体、史跡にどんなことをしてくれたのだろうか。

 

史蹟を占領するということは、その土地の住民の暮らしを奪っているだけではない。歴史を奪い占領しているということだ。

 

拝所 (聖地) を占領するということは、聖地を土足で踏みにじっているというだけではない、その土地の文化そのものを破壊しているということだ。

 

それで「ずっと保護してきた」とは・・・

 

子どもたちは覚えておこう。

こういうのを具体的に植民地主義というのだということ。

植民地主義は、教科書に書かれている過去の出来事ではない。いま、ここで、軍事的植民地主義という形で続いていることだ。

 

1945年4月1日、このあたり一帯が米軍の上陸地点となり、そのままキャンプ瑞慶覧という巨大な米軍基地となる。それからなんと75年間も、北谷グスクは返還されなかった。

 

限られた住民だけがごくわずかの期間に拝所への立ち入りを許可されているだけで、足を踏み入れることもできない。

 

ともかく、2020年3月31日にやっとこの11ha の地所が返還されることになった。

 

米軍基地内にあった沖縄の「城」 進まなかった調査 日米の環境協定が足かせに

2020年4月10日 沖縄タイムス

沖縄県北谷町内の「米軍キャンプ瑞慶覧の施設技術部地区内の倉庫地区の一部」(約11ヘクタール)が3月31日に返還された。返還地には文化財「北谷城(ぐすく)」が含まれ、町は国指定史跡を目指し、城公園として整備を進める方針だ。国道58号沿いに位置し、町の「新たなシンボル」として期待がかかる。合意期日で順当に返された一方で、返還前の文化財調査は日米協定が壁となり、存分に進まなかった側面がある。町内でこれから返還される米軍基地内にも遺跡や古墓があり、協定は返還地調査の「足かせ」となり続ける。(社会部・勝浦大輔)


 北谷城は、13~14世紀にかけて地域を支配する「按司あじ)」が拠点にし始め、信仰の対象にもなったという。町教育委員会文化課によると、規模は大型と言っていい城で、中国産の陶器や銭、本土産の陶器などが出土しており、貿易が盛んであったと考えられている。国道58号沿いの好立地で、新たな観光資源としての価値も高い。

 

城跡整備に期待

 城周辺はほとんどが私有地で、町は地権者との交渉も進める。返還地一帯の地権者は約140人で、「北谷城及び白比川倉庫地区地権者会」の津嘉山弘会長(75)によると、地権者の多くが城跡の保存や公園としての整備に納得しているという。津嘉山会長は「北谷城は昔からウガンジュ(拝所)があって、聖地として守ってきた場所。子ども連れが遊びに来るような公園ができてほしい」と町の開発に期待を寄せる。貴重な文化史跡との認識は共通する一方で、歴史文献には城の存在がほとんど出てこず、正確な城主も分かっていない。町文化課は「調査で新たな歴史的価値が分かってくるはずだ」と調査の必要性を説く。

 

目視にとどまる

 だが、日米両政府が2015年に結んだ環境補足協定が、日本側の立ち入りを「返還7カ月前」と定めたことで、協定前は可能だった立ち入り調査ができなくなった。16年11月に文化財調査のため申請した立ち入りが実現したのは約1年半後の18年3月だった。それから町は19年12月まで断続的に調査したが石積みの保存状態の確認など目視の調査にとどまった。

 国指定史跡に向けた申請は今年1月だったが、報告書は主に協定前の調査内容をまとめざるを得なかった。町文化課担当者は「返還前から試掘調査ができれば分かることも多く、その後の計画もよりスムーズに立てられる」とため息を吐く。国指定は5月に審議され、発表は10月予定という。

 

下線部に関する記事はこれ

米軍施設内の文化財「北谷城」 返還前の立ち入り調査へ合意
2018年2月21日 沖縄タイムス

 米軍キャンプ瑞慶覧内の文化財「北谷城」について、北谷町教育委員会と在沖海兵隊、沖縄防衛局が、町教委による返還前の立ち入り調査に合意したことが20日、分かった。日米両政府が2015年に環境補足協定を結んでから米軍が許可せず、中断している町の文化財調査の実現に向け進展した格好。一方、3者による協定の有効期限は3月末と短く、立ち入り日も未定。町教委は「前進だ」と歓迎しつつ、文化財調査に10カ月はかかるとして期間延長を求めている。町は、北谷城の国史跡指定や返還後の保存活用を目指している。

 3者の協定は15日付。立ち入り対象は、城の西側(約1500平方メートル)と東側(約4千平方メートル)の2カ所で、文化財調査の前に生物調査が必要。保護種の有無を確認し、保全措置に問題ないと海兵隊が判断すれば、文化財調査ができる見通し。掘削は伴わない。

 町教委文化係によると、文化財調査の目的は城の範囲の確定だ。西側の四の郭の石垣の範囲や、手つかずとなっている東側の状況を踏査し確かめたいという。「測量も含め10カ月は必要。ぜひ延長してほしい」と話した。防衛局は「4月以降もできるように対応したい」とコメントし、米軍と調整を続ける考えを示した。

 北谷城を含む施設技術部地区内の返還は、既存施設のキャンプ・ハンセン移設を条件に「19年度またはその後」とされ、期日は決まっていない。環境補足協定が日本側の立ち入りを認めるのは返還約7カ月前(150労働日)で、補足協定前に実施が決まっていた2015年12月以降は調査ができなくなっている。(中部報道部・下地由実子)

 

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