1958年 海兵隊が日本からやってくる
1958年、神奈川県横須賀市御幸浜にあった米軍基地キャンプ・マクギルの返還に伴い、海兵隊基地が沖縄県具志川に移駐し、キャンプ・コートニーとなった。
この時期、日本に進駐していた海兵隊の多くの部隊が沖縄に大挙して移ってきたため、キャンプ・ヘーグなど随所で基地整備がまだ整っていない状態であった。
周辺に基地が密集し、住居を奪われた住民は周辺地での超過密な環境での生活を強いられた。
当該施設に係る事故としては、昭和36年5月の川崎小学校近くのヘリコプター墜落、昭和49年2月の廃油流出による天願川の汚染、昭和53年5月のヘリコプターの風防ガラスの落下事故、平成7年7月の油流出及び平成7年11月の軽油流出による天願川の汚染等があった。また、平成13年2月に、同施設・水域内での過去のクレー射撃による鉛汚染が問題となった。同問題に対し、防衛施設庁による調査が実施され、平成14年6月に、人の健康に影響はないとの調査結果が発表された。
天願川をキャンプ・コートニーのフェンスのなかには、天願城や天願貝塚などの多くの遺構があるが、米軍は調査や遺構の保全を許可していない。米軍のマスタープランには、天願一族の墓があるとともに、霊化森には日本軍の陣地壕があったため、多くの日本兵が葬られていると記されている。
フェンスの中に閉じ込められた天願城の城址標。