米軍ナイキミサイルサイト「石川陸軍補助施設」
1970年の空中写真
沖縄県「米軍基地環境カルテ」
1974年8月3日 返還
1969年にはほとんど機能しておらず遊休化していたにもかかわらず、すぐには返還されなかった。
ミサイル基地として既に使用されていなかったため、他の在沖米軍ミサイル基地のように自衛隊基地として必要とされず、引き継がれることなく返還された。
1974年8月3日、全部返還。一部、宅地やゴルフ場に利用されているが、傾斜や高低差がある地形のため、現在でも多くの山林が残っている。
沖縄県「沖縄の米軍基地」(平成15年12月)
つまり、米軍が返還しても、日本政府が必要とする基地は自衛隊基地となり、基地として必要でなければ返還される、というもので、実際に沖縄返還協定そのものとして返還された土地はとても少ない。
「次の施設及び区域は、沖縄の復帰の後、備考欄に記載するところに従つて日本国に返還される」と記されている沖縄返還協定 B票をご覧ください。すべて自衛隊にスライドされていることがわかるだろう。
沖縄返還協定とは、つまり、別名「沖縄の米軍基地を米軍と自衛隊とでとりあう協定」だったというわけだ。
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