ホワイト・ビーチとは何なのか
米海軍の揚陸艦と海自の護衛艦が並ぶ沖縄県うるま市勝連平敷屋の米軍基地「ホワイトビーチ地区」。
米海軍の強襲揚陸艦USSエセックス(LHD 2)、および日本海上自衛隊(JMSDF)のしまかぜ(DDG 172)、みょうこう(DDG 175)、はまぎり(DD 155)となつしお(SS 584)がならぶホワイトビーチ海軍施設(2003年2月28日)。U.S. Navy photo by Photographer’s Mate 1st Class James G. McCarter.
ホワイト・ビーチ地区 (White Beach Area) は、沖縄県うるま市の勝連半島にあるアメリカ軍基地。
ホワイト・ビーチ地区というのは、かなり特殊。
まず、米海軍と米陸軍が共存。
長い方の桟橋が海軍、短い方の桟橋が陸軍。
そして1972年以降には下にみるように一部が海上自衛隊と陸上自衛隊に移管され、米陸海、海自陸自が併設状態にあるということである。
またホワイトビーチは、1972年の沖縄返還から2021年1月7日現在まで原子力空母や原子力潜水艦が604回も寄港している。地元の意見など何も反映されていません。
冷戦時代の核ミサイルサイト
かつては、核ミサイルもずらり配備されていたホワイトビーチ。
すべてこのホワイト・ビーチ地区にありました。つまり核ミサイル基地の密集地でもあった。ということです。
ホワイト・ビーチ地区の核兵器、メースミサイル基地。
- COMMAND AND CONTROL : https://goo.gl/maps/pKpZr9tKAVPvZJSz7
- HAWK : https://goo.gl/maps/pKpZr9tKAVPvZJSz7
- NIKE-HERCULES : https://goo.gl/maps/4x9qiQaWsRm3QJiV9
- MACE-B : https://goo.gl/maps/fxWyNyJ4zi2pMEZ97
THE MACE and NIKE SITES ARE NOW GONE. THE HAWK SITE WAS TURNED OVER TO THE JAPANESE SELF DEFENSE FORCES.
国土地理院 1973/02/13(昭48) OK723Y を使用。沖縄施政権以降後の空中写真だが、まだ解体されていないホーク、ナイキ、メースのミサイルサイトが見える。1972年以前の空中写真では機密事項の為、黒塗りされている。see. Rob Oechsle 氏の調査
そして・・・メースも、ナイキ・ハーキュリーズも、ホーク・ミサイルも、「沖縄返還協定」で、撤去され、若干の土地は「返還」され、縮小されたかのように見えるのだが・・・結論から言うと、違います。下に見るように、陸自海自の基地と境界線なく往来することができ、複合化され、増強されているのです。
1972年以降、自衛隊基地に移管された区域
1972年の「沖縄返還協定」で、幾つかのホワイト・ビーチ地区が「返還」とありますが、勘違いしてはなりません。この時の多くの場合の「返還」とは、沖縄に返還されたのではなく、そのまま、日本の自衛隊に「移管」されたものです。つまり、米軍基地が、自衛隊基地に替わっただけ。このようなものは「返還」とは呼びません。
まず、自衛隊に移管された土地をみてみましょう。
1972年5月15日
- ホワイト・ビーチ港海軍施設 → 一部を海自沖縄基地隊に移管
1973年5月1日
- 西原第二陸軍補助施設 (ホーク) → 陸自勝連高射教育訓練場に移管
で、この西原第二陸軍補助施設とは・・・厳密に、上の地図でいうと、ホーク・ミサイルサイトとコマンド・コントロールの部分です。つまり沖縄のほかのホークサイトと同様、陸自のミサイラーへの教習機関を経て、ミサイルサイトを移管したと思われます。
ホワイト・ビーチ地区 ➀ ピンクの部分
実際、この「西原第二陸軍補助施設」を「勝連高射教育訓練場」として引き継いだ陸上自衛隊那覇駐屯地は、そのホームページにこう書いています。
沖縄本島中部与勝半島東側高台に位置し、四方景観が美しい場所として知られています。昭和48年5月、米軍からホーク器材及び施設を引継ぎ、以来、南西防空の要として日々教育・訓練に励んでおります。
とくに、この1972年時で、米軍基地から自衛隊基地へ移管された地所 (List B) は、圧倒的に米軍のミサイル基地が多い。アメリカの退役軍人の話によると、何か月かの引き渡し帰還では、米軍のミサイルを米兵が直接日本の自衛官にトレーニングした、それ込みの移管だったと言われています。
1972年以降「返還」された区域
では、ついでに、
この時返還された米軍基地の部分をみてみましょう
- 西原陸軍補助施設 Bサイト - ナイキ・ハーキュリーズ
- ホワイト・ビーチ地区 嘉手納第2サイト - メース
これを、ありがたいと思ってはいけません。ピンポイントで、ナイキとメースのサイトだけが返還されています。なぜでしょうか。
わかりますね。粗大ごみの処理と処理費用はすべて日本政府に押しつけるためです。
冷戦時代の核の要塞、メースを解体し原状回復するのにどれだけ費用がかかるか。ギンバル訓練場の原状回復費用だけで 241,132,500円です。
これが日米地位協定。要は、土地を汚し放題で片付けもせず、使えなくなれば投げ捨て、また新しい土地を欲しがるという、お行儀の悪い放蕩息子を育ててしまったのは、われわれ日本と日本政府なのです。
話は戻ります。
こうして、ホワイト・ビーチ地区は、アメリカの海軍と陸軍だけではなく、日本の陸自と海自も並列する、日米の、文字通り「境界線のない」複合軍事基地となっているのです。
特に注目したい点は、米軍ホワイト・ビーチ地区の西原第2陸軍補助施設を引き継いだのが、陸上自衛隊那覇駐屯地の勝連高射教育訓練場となっていること。
つまり、米軍の核ミサイル基地をそのまま自衛隊が引き継ぎ、返還前から、既に自衛隊がここにミサイル基地を想定しているということです。
そして、勝連分屯地へミサイル部隊配備計画
やっぱりでてきた、これ。
8月20日、宮古島、石垣島に続き陸自地対艦ミサイル部隊の配備を沖縄本島うるま市の陸自勝連分屯地に23年度に行う方針を防衛省が固めたと報道。2012年の安倍政権発足以来着々と進む「台湾有事」対応に違いない。極めて危険な対応で再び沖縄を戦場にしかねないものだ。反対だ。https://t.co/Tp6apxmEN0
— 伊波 洋一 (いは よういち) (@ihayoichi) August 20, 2021
ここ、米軍の元ホーク・ミサイル基地とミサイル・コマンドがあった場所では。
沖縄抜きで進められた日米の返還協定。それは、日本政府が沖縄の施政権を再取得する以前から、沖縄を再び日本の基地として利用することを最優先事項にした。
残念ながら、それが日本の「沖縄返還」。
日本が考える沖縄再軍備化の本体、なのです。
日本政府と日本の国民の意識は戦前と何も変わっていませんね。
こうした再軍備化も戦前と同じですが、配備するだけで思考停止し、その先がないのもあの時代と同じです。
基地を置けばそれで安心、基地がお札や護符となって守ってくれるとでも思っているのでしょうか。その発想が、日本を「敗戦」させたのです。
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