FAC6042 コザ通信所 (Koza Communication Site)

胡屋十字路はかつてテントが立ち並ぶ野戦病院だった。

 

コザの野戦病院

1945年、米軍は胡屋十字路南側に野戦病院を設置。後に民間に移管され沖縄中央病院となる。

 

昭和20年全域が米軍用地に接収され,集落地一帯に米軍の野戦病院が設置されたが,のちに民間に移管され沖縄中央病院と改称された。同25年小字八重島原一帯が返還され,沖縄中央病院はその一画に移設されて戦後医療に大きな役割を果たした。米軍の軍用道路の拡張工事に伴い,旧県道は当時の面影を失ったが,現在胡屋~園田間に市道胡屋21号として一部が残っている。

解説ページ

 

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7月19日、知念地区の久手堅収容所が日本軍敗残兵に襲撃され、重傷を負った夫婦は胡屋の海兵隊野戦病院に送られていた。

1945年8月27日 『連合国軍の日本進駐』 胡屋の野戦病院

 

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米国海軍 G-6 hospital 61 at Koza, Okinawa, Ryukyu Islands. ComPhibPac #264.Primitive laundry.
コザにあるG-6区第61病院。原始的な洗濯施設。 コザ  1945年5月15日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

コザ通信所

面積: 5,000km2

場所: コザ市 (現沖縄市) 胡屋

  • 1945年、米軍上陸で接収され、コザの民間人収容所として、また病院用地として使用。
  • 1953年、コザの病院 (現・中央病院)が沖縄市内へ移転、跡地に泡瀬通信施設の補助施設として「コザ通信所」(使用目的: 通信所)を設置。
  • 1973年3月31日、全返還。宅地となった。

先ほどの空中写真に当てはめるとこのあたりの位置になるかと。

 

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飛び地のような通信所が返還されたのは1973年3月31日。宅地となった。

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