FAC6040 砂辺陸軍補助施設 (Sunabe Army Annex)
1945年4月1日 砂辺収容所
4月1日、砂辺は米軍の上陸地点となり、多くの住民がいったん臨時の収容所「砂辺収容所」に収容される。5日、米軍は砂辺収容所に収容された住民を島袋収容所に移動させた。米軍は基地建設の都合にあわせ、収容者を転々と移転させる。そのたびに住民は徒歩などの移動を強いられた。米軍資料 (マーフィン資料「戦闘日誌」) によると、島袋収容所の開設は4月4日で、4月13日には収容者数は10,785人に達した。
現在の北中城村島袋集落は米軍の一大難民収容(所)として利用されました。米軍上陸後に北谷と砂辺の仮収容所に収容されていた住民は、4月5日に米軍の車両や徒歩で島袋収容所に移されました。そこで、17歳から45歳までの男性をえり分けて米軍の作業を行う特別作業員として収容し、一般収容所では瓦葺き家に数所帯・数十人も押し込められ、狭苦しい生活を送りました。
所在地:北谷村字砂辺、字浜川
広 さ:約 40,500 ㎡1945年 米軍の軍事占領の継続として使用開始。
年月日不明 「砂辺サイト」と称され、第1特殊部隊の隊舎及び民間人警備本部と
して使用される。1972年5月15日「砂辺陸軍補助施設」として提供開始(使用主目的:事務所)。
年月日不明 映画用資材倉庫及び隊舎として使用。1977年4月30日 一部区域を除き全部返還。一部は、同年12月15日、陸軍貯油施
設に統合された。沖縄県「米軍基地環境カルテ・砂辺陸軍補助施設」(平成29年3月)
陸軍、第1特殊部隊 1st Special Forces Regiment (Airborne) 、映画用資材倉庫、というと、PSYOP 心理作戦部隊 しか浮かばないんだが。
およその場所。南側が砂辺倉庫、北側が砂辺陸軍補助施設。米軍は遊休化した土地もなかなか返還しない。
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