FAC6088 沖大東島射爆撃場 (Okino Daito Shima range)

 

沖大東島射爆撃場

旧名: Okino Daito Shima gunnery range. 

改名:  Okino Daito Shima range.

 

 

 

 

南大東島沖大東島

ここで比較したいのは、南大東島沖大東島

どちらも私企業に所有された孤島で、プランテーション労働の島だった。

 

戦後の南大東島は、米軍基地化されることもなく、日糖によるまったく甘くないプランテーションでの労働生活が続くが、住民の根強い闘いで、1964年、地元村民に土地所有権が認定される。

 

いっぽう、沖大東島は、1958年に米軍基地 沖大東島射爆撃場となり、立ち入りが一切できなくなる。

 

膨大な数のアホウドリ絶滅危惧種に追い込んだだけでなく、その糞を燐鉱として産業化したラサ工業は、南大東島北大東島の日糖のように島で事業の再開を願ったにもかかわらず、その道は米軍基地によって困難なものとなる。

 

ラサ工業は1971年に鉱業部門から撤退している。それは遅すぎるのかもしれない判断で、既に1920年代から需要が急速に失われ、かつ島の燐鉱は枯渇状態にあった。

 

また、沖縄県の離島でありながら、この島の所有者は、本土の一企業である。

本土の研究者・企業家が島の土地権利を掌握し、そこで働くことになった多くの沖縄の労働者は孤立した軍艦島で劣悪な食生活、ひどい搾取と差別をうけた。内地からの労働者と沖縄の労働者は、炊事場も「内地人」と「沖縄人」とに分けられ、衣食住から賃金に至るまで、完璧にセグリゲーション (隔離政策) がひかれていた。

ここまで書けば、典型的すぎるほどのプランテーションがここにも存在したのだということがわかるだろう。 

 

1972年の沖縄返還時、沖大東島は国有地であると認識されていたが、その翌年の 1973年には、ラサ工業の島の所有権が確認される。そこで軍用地の借地料が発生する。つまり国から土地の年間の賃貸料を支払われるということになる。

 

通常であれば、軍用地の借地料いうものは、広々とひろがる基地に対して何百世帯もの当然住んでいるべき人々が土地を奪われているのであるから、各世帯の軍用地の借地料というのは本土の人が期待するような金額ですらない。また生きるための土地を強制的に奪われて生きる側の正当な補償である。

 

ところが、沖大東島射爆撃場については、話はまったく異なる。沖大東島の土地権利者は県外の企業の創業者であり、そしてその一人に支払われる借地料は、尋常ならざる金額にまで上昇している。みてみよう。

 

1973年 4,900万円

1974年~77年 4,200万円

1978年 4,600万円

1979年 8,600万円

1980年 1憶6,900万円

1981年 2億1,500万円

1984年度 3億3000万円 

 

そしてそれ以降は、金額は公表されていない。

はたして、いまどれほど吊り上がっているのか下がっているのか想像もできない。まるで都市伝説のような仄暗い話で、都市伝説のような噂もあるが、みんな声高に語ることは決してない。

 

まず、ラサ工業は1971年に鉱業部門から撤退している。

それは遅すぎるのかもしれない判断で、既に1920年代から需要が急速に失われ、かつ島の燐鉱は枯渇状態にあった。

 

また、沖縄県の離島でありながら、この島の所有者は、本土の一企業である。

本土の研究者・企業家が島の土地権利を掌握し、そこで働くことになった多くの沖縄の労働者は孤立した軍艦島で劣悪な食生活、ひどい搾取と差別をうけた。内地からの労働者と沖縄の労働者は、炊事場も「内地人」と「沖縄人」とに分けられ、衣食住から賃金に至るまで、完璧にセグリゲーション (隔離政策) がひかれていた。

ここまで書けば、奴隷制とほとんど変わらないプランテーションがここにも存在したのだということがわかるだろう。 

 

南大東島では、土地は住民に払い下げられた。

しかし沖大東島では、未だに、プランテーションのオーナーと軍がダブルであらゆるこの島のアセットと借地料を牛耳っている。

 

まず、この異常な金額釣りあげの背後には、どんな闇が何があるのだろうか。1979年、ラサ工業は大学の教授を連れてこの島でのリン鉱石調査をおこなった。まるで蜂の巣のように掘りつくされ枯渇した鉱山から、それでも350万トンという燐鉱埋蔵量が存在すると推定された。それは確実に「返還」か「値上げ」か、の交渉に影響している。

 

1979年 8,600万円

1980年 1憶6,900万円

1981年 2億1,500万円

1984年度 3億3000万円 

現在は 5億円はくだらないだろうという話もある。

 

これほどの金額を税金で賄うくらいなら、いっそのこと、米軍基地を返上し、ラサ工業には1971年に撤退したという鉱山事業をここで再開してもらった方がいいのではないか。また、採算が取れなくなれば、土地の独占をなくし、この土地を南大東島のように払い下げしてもらってもよい。

 

しかし、沖大東島は現在、自衛隊アメリカ軍の共同演習も行われており、日本側は絶対に手放したくない基地なのだろう。そのためには基地返還の声が起こりにくい「一人」の土地権利者はむしろこの金額に見合うほど都合がよいのかもしれない。

 

これが、じつは

沖大東島を米軍と自衛隊が使用するために、最果ての島で行われていることである。

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