金武飛行場 (Chimu Airstrip) ~ キャンプ・ハンセン (Camp Hansen) の形成

 

沖縄島の南北を分断するキャンプ・ハンセン。そのもともとは1945年に沖縄戦のさなかに米軍が建設した金武飛行場 (Chimu Airstrip) に由来し、戦後にさらに土地を接収し、現在の広大なキャンプハンセンの土地を占領している。

 

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沖縄県「米軍基地環境カルテ」に加筆

金武飛行場は、現在のキャンプハンセン施設地区に該当。

 

金武飛行場 (Chimu Airfield)

1945年5月6日 - 金武飛行場の建設

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沖縄戦の当時、沖縄島で米軍が建設した飛行場と民間人収容所

 

 

1945年5月6日、沖縄に上陸した米軍は金武村に2,000メートルの金武飛行場を建設

北の新しい飛行場用地が調査されました。1 つはボーローポイント (読谷)に、もう 1 つは金武近くの金武湾港の北岸にあることが適切であることがわかりました。第 40 大隊は、5 月 6 日にチム飛行場で作業を開始しました。

Building the Navy's Bases, vol. 2 (part III, chapter 26)

 

 


 

5月16日、21日、2度にわたり護郷隊により襲撃される。金武町住民が護郷隊を匿っていると疑われ、住民を宜野座・漢那の収容所に強制移送する。 

 

6月7日、護郷隊によるゲリラ襲撃を警戒し、米軍は金武掃討戦を開始する。20日には全住民を宜野座・漢那の民間人収容所に移送し、以後は億首川から南側を境界として金武飛行場区域への立ち入りを禁じた*1

 

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米海軍: Native village near Chimu Airfield, Okinawa.

金武飛行場の近くの集落。撮影地: 金武町撮影日: 1946年 12月 12日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

金武掃討戦と住民 (動画は 1:28~より。時間合わせしてあります。)

 

1947年 - 射撃場建設

1947年7月22日、飛行場を射撃場として再使用開始。小火器、大砲、戦闘機重爆撃訓練等々に使用。

米軍は日本降伏後に金武飛行場を一時放棄していたが、1947年に射撃場に使用する方針を立てた。この方針に対して金武村長や住民代表が中止を求めた文書。しかしながら、同年9月には射撃場が建設され、現在はキャンプ・ハンセンとして実弾射撃訓練が行われる数少ない基地になった。

陳情書 1 1946年10月~1949年5月 -沖縄県公文書館

 

1950年代 - キャンプハンセン建設

土地の接収

1951年1月、飛行場跡に木造兵舎建設開始。

1956年6月、海兵隊、仮兵舎にて駐屯開始。

1959年7月、キャンプ・ハンセン建設開始。

1962年10月、キャンプ・ハンセン工事完了。

 

飛行場は、施設地区として各種の管理施設が建設され、キャンプ・シュワブと共に、沖縄島を南北に分断する巨大な海兵隊の訓練場を形成している。

 

 

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