FAC6013 恩納通信所 (Onna Communication Site)

 

沖縄県恩納村の万座毛、

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万座毛 | 沖縄県恩納村 | 青と緑が織りなす活気あふれる恩納村

 

ここも VOA通信基地 だった。

その南側にも、更にすばらしい景観が広がっているけど、そこも米軍基地だった。

 

 

今回はこの米軍基地「恩納通信所 FAC6013」を扱います。

 

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こんな風光明媚な一等地を占領するのだから、さぞかし VOA (Voice of America) や恩納通信施設の職員は最高のリゾートライフを過ごせたに違いない。

しかし、平地の少ない恩納村で優良な耕作地を奪われた住民にとっては死活問題であった。しかも、立つ鳥跡を濁さず、は、米軍基地だけには当てはまらない。PCB など各種の毒物、後片付けもせずである。

 

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万座毛周辺が恩納VOA、アポガマ周辺が恩納通信所、また右手はキャンプ・ハンセン

 

恩納通信所

施設番号: FAC6013
場所: 恩納村字恩納
面積: 約599 千㎡ (1972現在) 

 

歴史

沖縄戦とその後の収容所時代、ここに米軍は兵站施設と小飛行場らしき一群の施設とを建設していた。

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1953年 恩納ポイントと土地接収

1953年4月 - 米空軍 恩納ポイント (Onna Point) として使用開始。 

Ryukyu Police Reports ー 恩納通信所をめぐる土地収用問題

 

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「万座毛にあった恩納通信所(左奥) 写真中央にはV.O.Aが見える(撮影年代不明)」

 

沖縄戦後史の中でも、「暗黒時代」と称されるほどのとりわけ厳しい時代であった1950年代「銃剣とブルドーザー」という言葉に象徴されるように、米軍が武装兵を出動させ、沖縄の人々の土地を奪い、基地建設を強行していった ことはよく知られているとおりです。1953年4月3日、米軍は布令第109号「土地収用令」を公布、そのほぼ一週間後の4月12日の真和志村(現・那覇 市)銘苅の強制接収を皮切りに、米軍は読谷村渡具知、小禄村(現・那覇市) 具志、伊江村真謝、宜野湾村(現・宜野湾市) 伊佐浜の土地を次々に強奪して いきました。

 

沖縄県公文書館に所蔵されるエドワード・フライマス氏の文書ファイル、“Ryukyu Police Reports"(資料コード:0000024782)には、字恩納及び南恩納の恩納通信所の土地収用をめぐる資料、“Meeting Held in Regard to Confiscation of Land for Military Use"が綴られています。

 

この資料に特徴的なのは、出席者である恩納村長、助役、土地担当者、恩納村土地委員会の委員たちの発言内容などがすべて英文に翻訳されている点で す。この資料が作成された本来の目的は定かではありませんが、資料中の「情報源」の欄に「米国民政府公安局」と記されていることから推察するに、土地収用に対する恩納村の内部動向を米軍側が把握するためのものであると考 えられます。また会議の開催日時や開催場所が明記されているだけではな く、出席者の実名までもがローマ字と漢字で併記されているなどの具体的な記載は、恩納村においても米軍による監視網がくまなく張り巡らされていたこ とをうかがわせます。

 

資料の冒頭には、会議は1954年4月13日15時から16時50分にかけて恩納区公民館の前にて開かれ、米国民政府から「南恩納区の西側のすべてのエリア」を米軍に明け渡すか、もしくは譲渡するよう要求されていると記載されています。続いて資料には、土地委員会の委員長による報告が記されて おり、それによると収用の対象となった面積が14万8千坪にのぼること、それによって恩納区及び南恩納区では農地の約3分の2が失われること、並びに「土地収用に反対である」との委員長の発言が確認できます。

 

続いてなされた恩納村長の発言は、村長としての苦しい立場をうかがわせ るものでした。村長は、「村長の立場として、私は土地収用に反対であるかどうかは言えない」と前置きしつつ、「地主たちから寄せられた意見に従って『土地問題」の解決に努力する」と発言しています。土地収用問題に対する村長とし ての見解を避けつつ、村民の意見を要求するといった態度は、村長としての責任を放棄したというよりは、むしろ米軍の圧力に直面し、米軍と村民との板 ばさみに立たされた恩納村長の苦しい立場をうかがわせるものです。

 

先の村長の発言に返答する形で、会議に出席したある地主は次のように述 べています。「地主として、私は絶対に反対である。しかしながら、我々が何を言おうと関係なく土地を使用すると仮に軍が言うのであれば、この問題に関して我々ができることは何もない。しかし何はさておき、軍に使用されることのないように陳情するため、我々は行政主席、立法院議長及び米国民政府に代表者を送るべきである」

 

土地収用に関して、「我々が何を言おうと関係なく土地を使用すると仮に軍が言うのであれば、この問題に関して我々ができることは何もない」とするこの発言は、米軍の圧政が恩納村の地域社会においてもいかに重くのしかかっていたかを伝えるものです。しかしその一方で、土地収用に「絶対に反対である」との発言は、字恩納及び南恩納の農地が農民にとっての生活の命綱であったがゆえに、すなわち1950年代の「基地問題」が恩納村の農民にとって死活問題であったがゆえになされたものであると指摘できます。 恩納村の地域社会に内在していた、米軍の圧政と農民の死活問題という相克のなかで、発言者は「軍に使用されることのないように陳情する」という方針 導き出していきます。この発言は会議の出席者の全面的な同意を得、米国民政府、行政主席、立法院議長に陳情書を提出することが満場一致で決定され たと資料には記されています。

 

各方面に提出された陳情書の原文こそ現時点では確認できませんが、「立法院会議録」の「請願(陳情)文書表」によると、陳情書の件名は「軍用地指定 保留方に関する陳情」、請願陳情者は恩納村長のほか141名とあります。請願要旨の欄には、軍用地指定地域が恩納村唯一の穀倉地帯にして、約1000 人の食糧を確保し得る優秀な耕地であること、軍用地に指定されるとなると食糧事情が深刻化し、耕地の皆無状態となり、約1000人の住民が路頭に 迷うこと、さらには「貧困なる村財政」の運営にも支障を来たすとして、軍用 地の指定を保留するよう記載されています。

 

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恩納通信所(南恩納区 所蔵)

 

《参考文献》

中野好夫新崎盛暉沖縄戦後史」岩波新書 一九七六年
沖縄県史ビジュアル版1 戦後1 銃剣とブルドーザー』 沖繩煤教育委員会一九九八年『恩納字誌』 字恩納自治会 二〇〇七年

1 “Ryukyu Police Reports" には、恩納通信所に関する資料のほか、真和志村銘苅、小様村具志、読谷村楚辺、北中城村仲順、三和村喜屋武、宜野湾村伊佐浜、伊江村真海に関する類似の資料の存在が確認できる。

2現在、「立法院会議録」は沖縄県公文書館のホームページにてPDFファイルで公開されている。本文に引用

 

恩納村公民館に米軍がいたわけでもないのに、会話内容から参加者の実名までしっかりと記録されている。実際、米軍は沖縄県民の声など聞こえもしないように占領者としてふるまうわけだが、地元の声をなにより恐れ、共同体を監視し、記録をとっている。日本の敗残兵も収容所の会議に出た村人をスパイリストにのせて持ち歩いていたことを思いださせる。

 

1972年 恩納通信所

1972年 5月15日: 米空軍から海兵隊に移管。「恩納通信所」(Onna Communication Site) となる。

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1971年の空中写真では、恩納通信所はミサイルサイトでもないはずだが、真っ黒の黒塗りになっている。

 

1993年 返還と PCB

1993年5月15日、 日米合同委員会は、恩納通信所の全部返還について合意、11月30日に全返還される。

 

1996年3月19日、那覇防衛局は、汚水処理槽内や汚泥から PCB やカドミウムなどの有害物質が検出されたと発表した。後に、ヒ素や水銀も発見される。

 

1998年3月11日、沖縄防衛局は恩納通信所跡地内の汚水処理槽から検出されたPCB、ひ素など有毒物質を航空自衛隊恩納分屯基地内に搬送した。空自恩納分屯基地も米軍のミサイル基地「恩納サイト」からそのまま移管された基地であり、そこでも PCB が大量に発見される。恩納通信所と恩納サイトであわせて途方もない・・・。

 

第180回国会 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号平成24年3月21日

○政府参考人(山内正和君) まず、キャンプ桑江北側の北谷町から発見されましたPCB含有の蛍光灯安定器約340個につきましては、本年度約1,400万円で処理業者と契約し、処理を行っているところでございます。また、恩納通信所及び航空自衛隊恩納分屯基地において発見されましたPCBの汚泥でございますけれども、これは通信所返還地から約104トン、それから航空自衛隊恩納分屯基地から218トン、合計で約322トンとなっております。

国会会議録

 

第180回国会 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号平成24年3月21日

平成22年度末までに在沖の米軍施設の返還に伴います土壌汚染などの除去に要した費用としては、キャンプ瑞慶覧のメイモスカラ地区で約8,400万円、キャンプ桑江の北側……(発言する者あり)失礼しました。約11億9,000円でございます。また、恩納通信所及び航空自衛隊恩納分屯基地については、発見されたPCB含有汚泥の保管のための保管庫の設置等の費用といたしまして、合計で約2億1,800万円の費用を要しているところでございます。

国会会議録

 

約2億1,800万円 _:(´ཀ`」∠):_

なぜ米軍が飛び去った後はこうなってしまうのだろう。リゾート地にきて、ゴミは袋に入れて持ち帰るのだと親に教わらなかったのだろうか。

 

2024年 大型リゾートホテルへ

マレーシアの巨大複合企業・ベルジャヤグループは当初、カジノリゾートとして構想していたが、米軍基地の次は、カジノとなると、もの悲しいので、それは今のところ出てきていない。

 

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国際的な高級ホテル「フォーシーズンズホテルズ&リゾート」が沖縄に初進出です。開業は2024年の夏頃を目指しています。

ホテルが建設されるのは恩納村アメリカ軍恩納通信所跡地で、(2020年10月) 28日に起工式が行われました。

国際的ホテルチェーンが県内初進出 – QAB NEWS Headline

 

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アポガマなど美しい海岸を壊さないリゾートになるといいのだが。

 

 

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ウドゥイガマ・アポガマ 恩納村の秘境・穴場スポット | 恩納村ダイビング

 

万座毛と 米軍(微妙案件) VOA についてはまた VOA の項目で。 

 

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