久場サイト
返還: 8,000㎡
熱田キャンプ
1950年代の沖縄の地図 - 米空軍第12空軍作成 (1952年) - Okinawa Basically Basic Base Story
在沖米軍陸軍工兵隊( DE )が、1971年9月8日、沖縄本島中城、北中城両村役所の土地主任を呼びつけ、地主が軍用地について現状回復を請求しないように圧力をかけた。
この久場サイトの件は、九月の十一日に「琉球タイムス」に載って
131 喜屋武眞榮
次に、いま重大な問題がお耳に入っているかと思いますが、このC群の中に、返還されるまでに解放される中に入っている久場(くば)サイト、中城(なかぐすく)村と北中城村に関連した久場サイト、ここの解放をめぐって重大なあやまちをいまおかされつつある。いわゆる返還協定のあの条約を無視してやみ取引をして、それがなしくずされようとしている事実は御承知かと思いますが、詳しいことをきょうは申し上げられませんが、あとで必要であれば時間を取ってまた資料も提出をいたしますが、こういう事実なんです。軍の一係官が、その両村の責任者の村長ではなく、土地係をひそかに呼んで、そうしてこれなんです。この契約書をこう見せて、サインするならば十二月三十一日までに解放してやる。この内容を見ますと、その中には一部施設もある。それもそのままそっくりあなた方に上げるから請求権の一切を放棄して——これは当然復元補償の対象になっております——その請求権も放棄してそして復元補償を要求しなければ、そのまま十二月三十一日までに返してあげる。もしそれがいやというならば、あるいはそのまま継続してこれは軍が使用するかもしれない。また十二月三十一日までに返さないこともあり得る。おどしともすかしともつかないことをやっている。それで、あわてて帰った両村の主任が村長に報告している。村長がかけ合いまして、そんなばかなことができるものか、何に根拠を置いてそういうことをやるのか、こうして問い詰めたら、それじゃそれをなかったことにしようと、それを目の前でちぎって捨てた事例が私どもに報告されたわけなんです。このようなことがないしょになしくずしにやられておるということ、これは重大な問題であると私は思っております。それに対して御承知であるかどうか。もし御承知であるならば、それに対してどういう腹を持っておられるか、ひとつお聞かせを願いたい。132 橘正忠
ただいまの久場サイトの件につきましては、米側のほうにも事情を照会いたしました。その結果、沖繩の米軍も、いまお話しの二つの村の当事者と返還のことについて下相談をしたのは事実であるということを言っております。その際に、喜屋武先生のおっしゃいましたような、たとえば地主がいわゆる補償を要求しないならばことしの末までには返せるとか、あるいは、もし復元補償を要求するのであれば、評価についてもいろいろ問題があって時間がかかるので少し返還はおくれるだろうといったような話は下相談のときにあったようだということを言っておりました。ただ、それじゃ、長引いたら、ずっといつまでも使うぞということを言った覚えはないということを一応説明しておりました。
なお、いろいろ米側が使っております施設について返す場合の問題につきましては、今度の場合でも、正式の打ち合わせということでなしに、いろいろ下相談が直接当事者と行なわれることはあり得ることでございますので、あるいはそのようなことであったかとも思いますが、ほんとうに正式な話であれば、しかるべき正式のルート、チャネルを通じて話が行なわれるべきものと思っております。
133 喜屋武眞榮
それで今後このようなことがほかの解放をめぐってもないとは断定できない。いままでも、やみからやみと申しますか、そういった責任者の名において正規のルートを経ずにそのようにやってこられたのじゃこれはたまったものじゃない。どうかひとつそれをきびしく監視してもらって、沖繩の現地においては、その土地問題は、これは主席の名において一応トップレベルで交渉あるいは連絡がなさるべきはずである。それを下っぱのこういう連中が、そのようなおどしとかすかしとか見れるようなことでこれから処理されたのではたまったものではない。この事例が、まあ幸いに両村の村長が、筋の通ぬらことに対して敢然とこれを押し切ったのでそういうことに終わってよかったわけでありますが、どうかひとつ今後もそういったことのないように十分に処置していただきたい。
次に、土地の再契約につきまして、個人契約をする。このことはこれは既定の事実であるわけですが、その場合に、全地主の合意を得られないということが予想される。この場合に、一体どういう態度で臨まれるのであるか。そのことについてお伺いいたしておきたいと思います。
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