第13小飛行場 - 当間小飛行場
米軍は、沖縄戦中に大きな飛行場だけではなく、軽飛行機用の小飛行場 (cub airstrip) を20あまりも建設したという。しかしその多くについては資料もなく、不明のままである。
今回は詳細がまだ明らかになっていない多くの小飛行場のなかでも、米軍の「第13小飛行場」(#13 Cub Airstrip) として番号が特定されている当間小飛行場について扱う。
当間 (とうま) は、現在の中城村 (なかぐすくそん)。
ちなみに米軍は当間を Doma と呼んでいた。
なぜ番号が特定できるのか
Picture 1
沖縄公文書館所蔵の写真資料で cub airstrip の番号が明記されているのは #6 (瑞慶覧), #7 (池武当), #10 (不明), #13(不明) のみ。しかし#13は、#10 とは異なり、空中写真が多く場所が特定しやすい。
米国空軍: Aerial view of Cub Airstrip #13. There were approximately 20 Cub Airstrips throughout Okinawa, Ryukyu Retto. 163rd Liaison Squadron, newly arrived from the States, operated here.
第13小飛行場。沖縄本島にはおよそ20の小飛行場があった。沖縄での活動のため米本国から着いたばかりの第163連絡中隊。1945年 7月 9日
Picture 2
与那原飛行場や泡瀬飛行場の空中写真を調べると必ず移りこんでくる小飛行場がある。拡大してみると、Picture 1 と全く同じ形状の小飛行場であることがわかる。(駐機場を片方に6つ持っている。)
Picture 3
滑走路と海岸との角度、遠方にみえる勝連半島、泡瀬、久場崎らしき海岸線。そして滑走路の特徴的な形。
消滅
当間小飛行場の滑走路跡は、1947年の空中写真にはまだ残っているが、1962年の空中写真では完全に跡形もなくなっている。現在の位置からすると、ここ。
当間小飛行場は、上記の3点から特定することは可能であるが、それ以外の文書記録や証言がなかなか見つからない。住民が強制的に民間人収容所に収容されている間、あまりに多くのものが破壊され、またあまりに多くのものが建設された。ゆえに、ちいさな小飛行場の記憶/記録は見つけるのが困難なのかもしれない。どんな小さな記憶でも形として残すことは大切である。
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