FAC6018 屋嘉レスト・センター (Yaka Rest Center)

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1945年 - 屋嘉捕虜収容所

この海岸は1945年、沖縄戦における捕虜収容所の本部となった。

 

小さな少年兵 (鉄血勤皇隊や通信隊の学徒兵) らしき姿も多く見られる。また兵士に分配されている箱状のものは、レーションとよばれる戦闘糧食。日本兵捕虜、石川 (屋嘉収容所) 1945年6月26日撮影 (沖縄公文書館所蔵) 

 


屋嘉レストセンター

屋嘉捕虜収容所は中南部の巨大な軍事基地から距離があるため、捕虜を港湾作業など兵站や基地建設に使役する方針にシフトし、また捕虜の復員も開始されたため、他の7カ所の捕虜収容所より最も早く閉鎖された。

その後、米軍の保養施設「屋嘉レストセンター」となる*1

 

上の屋嘉捕虜収容所のショットと比較してみると、同じ場所からの撮影のような気がする。

軍施設・軍用機/Aerial View of Yaka Beach reveals beautiful resort(屋嘉ビーチの遠景) : 那覇市歴史博物館

 

1972年5月15日時点での状態

  • 場所: 金武村字屋嘉
  • 面積: 約93,100㎡

1979年8月31日に閉鎖される。

 

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Yaka Beach EM Rest Center, 1954 米国陸軍通信隊 沖縄関係 Entrance to the Yaka Beach Rest Center. 屋嘉ビーチの保養施設入口 撮影地: 金武町屋嘉 撮影日: 1954年 沖縄県公文書館

 

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1979年8月31日に全部返還。

 

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*1:金武村屋嘉に、本島で最大の日本軍捕虜収容所があり、捕虜の帰還が完了した後、跡地に米軍一般兵士用のレクリエーションセンターが建設され屋嘉ビーチと呼ばれるようになった。 米軍施設/米軍一般兵士用レクリエーションセンター(屋我レストセンター)/屋嘉ビーチ入口 : 那覇市歴史博物館