FAC6038 嘉手納住宅地区 (Kadena Housing Area)

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嘉手納住宅地区という名称だが、読谷村の大湾、古堅、比謝橋にあった。嘉手納飛行場の航空隊の米軍住宅。1977年に返還された。モーガンマナー (Morgan Manor) 地区として有名。

 

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嘉手納住宅地区 - Wikipedia

 

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第156ステーション病院の様子(写真提供元不明)。ドン・カーソン氏提供。左上の病院のクォンセットを越えて、川の向こう側に嘉手納サークル。

ClickOkinawa.com - Kadena Circle & Morgan Manor

 

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Leaving the circle into Morgan Manor housing (Photo from 1961-63 by Gene Jones)

嘉手納サークルからモーガンマナーに向かう道

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戦後、古堅はモーガンマナー住宅地区内の米軍人・軍属家族用居住地として使用された。そのため字民はかつての集落へと戻ることができず、古堅差門原(サシジョーバル)と大湾西原(イリバル)の一部に集団移転した。古堅差門原に公民館、獅子屋を建設し、新たな地での生活が営まれた。


1977 年に、ようやく返還されたが、長期に渡る軍用地としての使用により、土地の境界が不明瞭で、返還後もその利用を巡って大変な困難に直面した。元の集落での生活を回復させるまでは相当の時間を要した。

 

1990 年に古堅地区土地区画整理事業が完了し、1999 年には新たな古堅の拠点として新公民館が建設された。

古堅公民館 [地域のよりどころ] - 読谷村の文化財と戦跡マップ | 沖縄県 古地図 歴史 地歴 ツナガルマップ

 

いまある平屋建てのいわゆる米軍住宅は、基地の外に建てられた物件です。

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古堅出身、戦前から地域の移り変わりを見てきた伊波寛裕さん(92)によると、戦中は北部へ疎開、名護や宜野座、石川の捕虜収容所などへ散り散りになっていた区民が帰村できたのは1947年。「はじめは波平、そして大木に数年間移り住んだ。51年にようやく元の集落の近く、古堅南小学校の東側に住めるようになった」。それでも戦後30年近く、古堅集落は「モーガンマナー住宅地域」と呼ばれる米軍の住宅地で、「かまぼこのかたちをしたコンセット住宅が並んでいた」。今残っている外人住宅は米軍向け賃貸住宅として基地の外に整備されたものだという。

「ここは読谷か」
同米軍住宅地の全面返還が決まったのは77年。区画整理組合の役員も務めていた伊波さんは、「軍用地として使われ、土地の境界が曖昧になっていた。残っていたフクギなどを目印に『自分の土地はここだ』と言うから、区画整理で土地の配当をする時は苦労もあった。けれどみんなが協力的だったおかげで、立派な道も造れて公園もできた」と当時を振り返った。区画整理で80年から90年までに道路や公園、宅地が整備され、住宅が建ち始めたのは平成に入ってから。伊波さんは「古堅は村で初めて区画整理が行われた地域。整備が終わってからは『ここは読谷村か』とよく尋ねられた」と誇らしげにほほ笑んだ。

 

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戦後史映す街並みの移ろい[読谷村古堅]|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

 

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