16. 石垣島 宮良秘密飛行場

陸軍 宮良秘密飛行場

宮良秘密飛行場は、白保飛行場に近い旧大浜村に建設されたようですが、当ブログでは滑走路の位置を正確に知ることができませんでした。

日本軍は石垣島に3つの飛行場と1つの秘密飛行場を建設した。

13. 海軍石垣島南飛行場(平得飛行場・大浜飛行場) 

14. 海軍 石垣北飛行場(平喜名飛行場・ヘーギナ飛行場)

15. 陸軍 石垣飛行場(白保飛行場) 

16. 陸軍 宮良秘密飛行場

石垣島の宮良飛行場を加えれば、日本軍が沖縄で建設を予定した飛行場は16カ所になる。

 

宮良秘密 (秘匿) 飛行場の名称について

米軍は、日本陸軍白保飛行場」を Miyara Airfield 「宮良飛行場」と記しているが、今回扱うのは「宮良秘密飛行場」であり、米軍が「宮良飛行場」と呼んでいたものとは区別する。

 

1945年、陸軍は白保飛行場に加えて、宮良秘密飛行場を建設した。

 

特攻機の出撃

特攻機が出撃するのは赤下の秘密飛行場からだった。

<白保飛行場で> 睡眠時間は昼の一時間で、その後は夜の二時頃まで働かされました。一、二中隊は飛行場の弾痕埋め、そのために白保部落の石垣がみな低くなっています。三~五中隊は飛行機を格納庫に出し入れする仕事でした。格納庫といっても、白保海岸近くの雑木林をきり開いてつくった所で偽装しやすいようにつくってありました。飛行機が飛び立つのは赤下の秘密飛行場で、そこまで飛行機をおさなければなりませんでした。夜しか飛行機はおせませんでした。昼はもう敵の空襲にあい、どうしようもなかったのです。

特に1945年の三月以降はたいへんひどかったものです。特攻機は台湾から薄暗くなって白保飛行場に着陸し、燃料の補給、搭乗員が休養をとり、未明に飛び立つようになっていました。白保飛行場から赤下近くの秘密飛行場まで飛行機おして歩くのはなみたいていのことではありませんでした。午後五時頃から午前二時頃まで飛行機おしをさせられたのにはたいへんつらい思いをしました。

戦争証言 八重山 ( 1 ) - Battle of Okinawa

つらかったのは、秘密飛行場をつくるために、一日中働かされた上、食糧は親指ほどの二本の芋で、仕事中目まいして倒れそうになったことも何度かありました。ほんとに泣くに泣けない状態でした。

戦争証言 八重山 ( 1 ) - Battle of Okinawa

 

宮良秘密飛行場 (石垣市)

畑(民有地)
・全筆、大浜村の所有地であった。登記簿上は所有権移転の確認はできない。
・戦後、分筆し農地として払い下げ

沖縄県「旧軍飛行場用地問題調査・検討報告書」(平成16年) 99頁  

 

 

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